三菱自動車工業<7211>の業績がさえない。2020年3月期連結決算では3期ぶりに当期損益で257億円の赤字になった。実は三菱自動車は合併や買収をしかけたことがない。ただ、過去2度にわたって同業他社の傘下に入っている。最初は独ダイムラークライスラー(現・独ダイムラー)、2度目は日産自動車<7201>だが事実上は同社を傘下に収める仏ルノーで、いずれも外国資本に買われた。

「外資」に買われるたびに細る?

もちろん外資に買われるのは珍しくない。三菱自動車を買収した日産はルノーから、マツダ<7261>は米フォード・モーターから、それぞれ資本を受け入れて傘下に入っている。ただ、三菱自動車は相手を変えて2度買われているのに加え、日産とマツダが外資支配下で業績を伸ばしたのに対し、逆に悪化しているのだ。なぜ三菱自動車は買われるたびに細っていくのか?

三菱自動車の歴史は古い。1917年に三菱造船(現・三菱重工業<7011>)神戸造船所で「三菱A型乗用車」を製造したのが始まり。同車は1921年までに22台生産され、「日本初の量産乗用車」といわれている。だが、戦前は米ゼネラル・モーターズ(GM)やフォードの輸入車が国内自動車市場を席巻したため、本格的な自動車生産が始まったのは戦後になってからだ。

日本初の量産乗用車「三菱A型乗用車」(同社ホームページより)

1948年から戦前に航空機を製造していた名古屋製作所大江工場で、保有するプレス設備で日産の「ダットサン」やトヨタ自動車<7203>の「トヨペット」といった乗用車ボディー生産を請け負い、自動車の量産技術を蓄積した。同社水島製作所(岡山県倉敷市)も「紫電改」などを生産した飛行機工場を自動車生産に転用している。

1950年にカイザー=フレーザー社と技術提携して低価格乗用車「へンリーJ」の国内コンプリート・ノックダウン生産(CKD、車の主要な構成部品を組み立てるだけでなく、ボディーの塗装やシャーシの溶接など部品製造以外の複雑な工程をすべて現地で対応する)を始め、販売子会社の「東日本カイザーフレーザー社」を設立して国内販売に乗り出した。

そして、1960年に戦後初の自社開発乗用車「三菱500」を、1962年には軽自動車「ミニカ」をそれぞれ発売し、量産車メーカーとして本格的なスタートを切る。1970年に三菱自動車工業として三菱重工業から独立。後にその傘下に入るダイムラー・クライスラーの前身企業の一つでありビッグスリーの一角だった米クライスラーとは同年に合弁契約を結び、翌1971年にはクライスラーが三菱自動車の「コルトギャラン」を「ダッジ・コルト」として販売する。

1973年に韓国・現代自動車(ヒュンダイ)と小型車生産のための車体やエンジン、ギアなどの生産技術供与契約を結び、同社が自動車メーカーとして世界に雄飛する礎を作った。三菱自動車は早い段階から国際化に積極的だったことがうかがえる。この時に技術供与ではなく、現代自動車に出資をしていれば、三菱自動車の未来は変わっていたかもしれない。