首都圏を走りながら、鉄道の総営業距離はわずかに9.7㎞。13駅で結ばれているが、うち3つの駅名に、明治・大正期にニッポンの近代化を担った実業家の名前が残っている。そんな驚きの歴史を持つ路線とは?

京浜工業地帯に向かう「鶴見線」

答えはJR鶴見線。都心からだと、JR京浜東北線・蒲田(大田区)で多摩川を渡り、2駅目が鶴見(横浜市)。ここで乗り換える。列車は京浜工業地帯に向かって走り、終着駅の扇町(川崎市)には17分ほどで着く。平日の利用者の多くは沿線工場の関係者だ。

鶴見~扇町間の本線のほかに、海芝浦線、大川線という2つの支線がある。始発駅の鶴見以外どこも無人で、駅舎やホームもかなりくたびれており、廃駅と見紛うほど。支線だけみれば、土・日曜の列車ダイヤは海芝浦線が1時間に1本(朝夕2本)、大川線にいたっては1日に3本だけ。

元をただせば、鶴見線は1926(大正15)年に貨物線の「鶴見臨港鉄道」としてスタートした。埋立地に形成された京浜工業地帯でつくられた物資の輸送を担うのが目的。戦後復興にも大活躍したが、重厚長大型産業の地盤沈下などで衰退を免れず、今日にいたる。

鶴見線の起点・鶴見駅ホーム

浅野総一郎に安田善次郎、大川平三郎が協力

そんな鶴見線のルーツを知るカギの一つが駅名だ。起点の鶴見から4つ目の「浅野」駅は、浅野財閥の総帥・浅野総一郎(1848~1930)からネーミングされた。「セメント王」の異名を持つ浅野は大規模埋め立てによる京浜工業地帯の生みの親であると同時に、鶴見線の創始者でもあったのだ。

現在の太平洋セメント、JFEスチール(旧日本鋼管)、東京ガスなどは浅野がかつて創設にかかわった企業。川崎・横浜沖の埋め立て工事のために設立した会社は東亜建設工業だ。

そして「浅野」の次の駅が「安善(あんぜん)」。こちらは安田財閥を築いた安田善次郎(1838~1921)にちなむ。京浜工業地帯の埋め立てを資金面から大いにバックアップした恩人だった。安田財閥は金融財閥と称され、1880(明治13)年にみずほ銀行(旧富士銀行)の源流となる安田銀行を創設した。

「安善」から分かれるのは支線の大川線。一駅しかないが、終点の「大川」は大川平三郎(1860~1936)の名前から命名されている。「製紙王」の名をとどろかせた大川だったが、浅野と協力して埋め立て事業を推し進めた。大川は草創期の王子製紙(現王子ホールディング)の礎を築き、王子を追われた後は巨大な製紙連合を実現させた。

ホーム真下に波が打ち寄せる「海芝浦」駅

忘れてはならないのはもう一つの支線、海芝浦線。「浅野」から枝分かれし、二駅目の終点の「海芝浦」はホームの真下まで波が打ち寄せる。しかも一般乗客は改札を出られないのだ。

支線・海芝浦線の終点「海芝浦」

改札は駅前にある東芝の工場関係者専用。一般乗客は発車時間を待ってそのまま上りの電車で戻るだけなのだが、他にない異空間を体験できるとあって、首都圏におけるちょっとした秘境スポットとして注目されている。

まさに、産業界における栄枯盛衰を体現してきたかの趣が漂う鶴見線。知っているようで知らない、先人の足跡をたどる「鶴見線探訪」はいかが?

文:M&A Online編集部