今日4月15日は本来なら、2020年東京五輪の開幕(7月24日)まで100日という節目。福島県から始まった聖火リレーはこの日、大阪府内で行われるはずだった。新型コロナウイルスの感染拡大が世界で猛威を振るう中、大会史上初めて1年延期されることになった東京五輪。

その昔、日本は同じ年に予定していた夏季五輪、冬季五輪、万国博覧会という世界的行事をトリプルで断念した苦い過去を持つ。そんな歴史をひも解いてみると。

五輪中止は過去に5度、日本は2度かかわる

新型コロナウイルスと比べられることの多いのが約100年前の「スペイン風邪」の名前で知られるインフルエンザ。1918年から20年にかけて世界中で大流行し、日本国内でも39万人が死亡したとされる。折からの20年のアントワープ大会(ベルギー)は第一次世界大戦敗戦国のドイツやオーストリアなどを抜きにして開かれた。

その前回大会の16年のベルリン大会(ドイツ)は第一次世界大戦(14年~18年)のために中止に追い込まれている。

オリンピックが取り止めになったことは過去、夏が3度、冬が2度の計5度(表参照)あるが、このうち日本は2度かかわっている。1940年の東京(夏季大会)と札幌(冬季大会)だ。東京大会は36年、札幌大会は37年のIOC(国際オリンピック委員会)で招致が決定していたが、日本は日中戦争の拡大などを理由に開催を返上したのだった。こうしてアジアで初めての五輪は「幻」となった。

開催都市(いずれも中止)
1916ベルリン(ドイツ)
1940東京が返上。これに伴い、ヘルシンキ(フィンランド)が代替地になるが中止
札幌=冬季
1944ロンドン(英国)
コルチナ・ダンペッツオ(イタリア)=冬季

1940年に「東京五輪・札幌五輪・東京万博」を計画

実は当時、開催年の1940年には日本の国威発揚のうえで大きな意味が込められていた。五輪が「紀元2600年記念行事」の一翼を担っていたからだ。神武天皇即位から2600年にあたるとされたのが1940年。

こうした五輪と同時開催で準備が進められていたのが東京万博。メーン会場は東京湾の埋立地(現在の晴海地区)。1つの国が1年のうちに、「夏季五輪・冬季五輪・万博」をセットで実施するのは前代未聞のことだった。大風呂敷を広げたものの、こちらも38年、戦局安定まで延期を決定した。

外務省外交史料館の資料によると、東京万博をめぐっては国際博覧会条約との兼ね合いが問題になったという。万博(テーマを限定しない一般博)は先に開催された万博から2年を経過しないと開催できない。このため、日本が予定する1940年開催は困難とされていたが、交渉の結果「東西文化の融合」をテーマとする「特殊博」として開催する運びになった経緯がある。

大阪万博、東京万博の前売り券が通用

1970年にアジアで初めて大阪で開かれた日本万国博覧会(一般博)では、開催延期となった30年前の東京万博の前売り券が有効とされ、利用できたことが話題を呼んだ。

日本は戦後、夏季五輪は前回の東京(1964年)、冬季五輪は札幌(72年)と長野(98年)の2度経験し、2025年には大阪で2度目の万博を控える。

世界は今、新型コロナとの戦いのただ中にある。コロナ禍を克服して、来夏、世界中のアスリートが東京に結集できることを心から願いたい。

文:M&A Online編集部