東京にもある「恋」のつく地名ってどこ?

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西武国分寺線「恋ヶ窪駅」(国分寺市戸倉)

「恋」のつく地名は全国でおよそ15カ所。全国的には群馬県の嬬恋村(市町村名としては国内唯一)が有名だが、実は東京都内にも1カ所ある。国分寺市にある「恋ヶ窪(こいがくぼ)」がそれだ。

平安末期の“悲恋伝説”に由来

首都近郊にあって武蔵野の面影を残す国分寺市。奈良時代に武蔵国(現在の東京と神奈川・埼玉の一部)の国分寺が置かれたことにさかのぼり、今日、東京の西半分を占める多摩地区の中心都市として発展している。そんな長い歴史の中、「恋ヶ窪」は脈々と息づいてきた。

姿見の池(西恋ヶ窪1丁目、西国分寺駅から歩いて5分ほど)

ロマンチックな響きがある地名だが、その由来は悲恋の伝説に基づく。平安時代末期から、鎌倉に向かう鎌倉街道沿いの宿場町として栄えたとされる恋ヶ窪地域。

秩父の武将・畠山重忠は宿場の遊女・夙妻(あさづま)と恋に落ちた。重忠は平家追討のための西国出陣を命じられる。ある時、夙妻に熱をあげる別の男が「重忠は戦死した」とウソをつく。絶望した夙妻は自害する。やがて凱旋した重忠に待っていたのは夙妻の悲報だった……。今に伝わる恋ヶ窪伝説だ。

地名の由来には諸説がある。その一つは、湧水に恵まれた窪地に位置し「鯉ヶ窪」と呼ばれたという説。もう一つあげれば、武蔵国の国府(現在の府中市)に近い窪地にあったことから「国府ヶ窪」と言われたともされる。少なくとも、江戸時代には「恋ヶ窪村」が存在していた。

日立の中央研究所、戦前からの住人

恋ヶ窪の地名は国分寺駅から西国分駅にかけてのJR中央線沿いの北側に広がる。現在、東恋ヶ窪と西恋ヶ窪という町域名に分かれる。広大な雑木林に覆われた日立製作所中央研究所(1942年設立)は国分寺駅側の東恋ヶ窪1丁目。西武国分寺線に「恋ヶ窪駅」がある。

西国分寺駅から歩いて5分ほどのところにある姿見の池。湧水をたたえ、恋ヶ窪が宿場町であったころ、遊女たちが自らの姿を映したとされ、かの夙妻が身を投げたのもこの池だったと言い伝えられている。

恋のパワースポットも登場

そこからすぐ近くの東福寺には、恋ヶ窪伝説にちなむ「一葉松」が植樹されている。夙妻を哀れんで村人が植えた松は、悲しみのためか一葉になったという言い伝えによる。2018年には境内に「恋の鐘」のモニュメントを設置し、縁結びのお守りの提供を始めた。恋のパワースポットとしては目下、発展途上のようだ。

江戸初期、幕府に願い出て玉川上水から水田用に分水した恋ヶ窪村分水と呼ばれる大きな堀の跡も昔の姿を残している。

「恋ヶ窪」探訪、東京郊外の意外な楽しみ方の一つかも知れない。

東福寺境内にある「恋の鐘」

文:M&A Online編集部

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