人気の街「吉祥寺」、そのルーツとは?

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吉祥寺駅(東京都武蔵野市)

東京都内で憧れの街の一つが吉祥寺(武蔵野市)。暮らしたい街ランキングでは常に上位に顔を出す。駅をはさんで北口正面には昭和の風情が漂うハーモニカ横丁が広がり、南口を出ると緑豊かな井の頭公園が迎えてくれる。老若男女を引きつけてやまない吉祥寺だが、街名である「吉祥寺」のルーツとは?

吉祥寺に「吉祥寺」という寺は存在しない

まず初めに吉祥寺に「吉祥寺」という名前の寺があるのかといえば、実はノー。しかし、「吉祥寺」は曹洞宗の寺院(山号は諏訪山)として本拠地で今も健在だ。場所は文京区本駒込3丁目。この辺りは明治の初めから昭和41(1966)年まで「駒込吉祥寺町」と呼ばれていた。それがなぜ、寺なしにもかかわらず、吉祥寺とネーミングされたのか。

その答えは江戸の歴史にある。日本史の教科書に出てくる明暦の大火(1657年)が関係している。江戸の町のほとんどが焦土と化したとされる大火事で、本郷元町(文京区本郷1丁目、水道橋付近)にあった吉祥寺は類焼し、現在地の本駒込に移転した。

文京区本駒込にある「吉祥寺」

この時、吉祥寺の門前町も焼失し、幕府の勧めで住人たちが移り住んだのが今日の武蔵野市。武蔵野台地を開拓するために入植し、新田開発を進めた。そして大火から7年後の1864年、新天地を晴れて吉祥寺村と名づけたのだ。

ちなみに、お寺の方の「吉祥寺」のルーツはこう伝えられている。1458年、太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見され、城内(現在の和田倉門内)に一棟を建て、「吉祥寺」と称したのが始まりという。

武蔵野市の玄関口が吉祥寺

現在の武蔵野市は1889(明治22)年に吉祥寺、西窪、関前、境の4村が合併して発足した武蔵野村(人口3089人)が母体。1928年に町制に、1947年に市制に移行した。人口は約14万7000人(4月1日時点)で、新宿からJRで20分ほどと交通の便が良い。京王井の頭線(渋谷~吉祥寺)も乗り入れる。

吉祥寺駅北口のアーケード「サンロード商店街」(2020年7月24日撮影)

市域は東西に走るJR中央線に沿って3駅圏に分かれている。市の玄関口がデパートや専門店などの商業施設が集積する吉祥寺圏。三鷹駅から北側に伸びる文化・行政ゾーンの中央圏。亜細亜大などの文教施設や中核病院の武蔵野赤十字病院が点在する武蔵境圏。

中央圏には、すかいらーくホールディングス、松屋フーズホールディングス、大戸屋ホールディングスといった外食大手や横河電機が本社を置く。大戸屋は、居酒屋「甘太郎」などを展開するコロワイドから敵対的買収のターゲットになっており、その行方が注目されている。

市内には芸術家や事業家、学者などが多数居住し、市民の意識が高いことでも知られる。その一例として1995年に全国に先駆けて、コミュニティーバス「ムーバス」の運行を始めた。

吉祥寺人気の一つは井の頭公園(武蔵野市と三鷹市にまたがる)。森林浴気分を味わいながら、散策できる。真偽は定かでないが、ボートにカップルで乗ると別れるという、ありがたくないジンクスがまことしやかに語られている。

井の頭公園…神田川の水源となっている井の頭池

文:M&A Online編集部

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