■日本の五大商社で最大の総合商社

 三菱商事株式会社<8058>は、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅とともに日本の5大商社の一つである。

 同社は三菱財閥を起源としており、三菱財閥は明治維新に始まる近代日本と歩みを同じくしている。土佐藩(高知県)出身の岩崎弥太郎が創立した三菱商会を基盤に、明治政府の保護も得て海運業を独占し、海運部門の全盛期に事業の多角化を図っている。明治6(1873)年の吉岡鉱山や明治14(1881)年の高島炭坑の買収に始まる鉱業(三菱鉱業の前身、現・三菱マテリアル)、明治17(1884)年の官営長崎造船所を借り受けて進めた造船業(三菱造船の前身、現・三菱重工業)など、古くから今でいうM&Aを手掛けてきた。また、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)、明治生命保険(現・明治安田生命保険)、三菱為替店(現・三菱東京UFJ銀行)もこの時代に設立されており、日本を代表するような企業を数多く設立している。

 そして、明治26(1893)年三菱合資会社を設立。これを持株会社として造船業・鉱業・鉄道・貿易などあらゆる分野に進出している。これが三菱財閥の出発点である。

 その後、岩崎弥太郎の甥である岩崎小彌太が三菱財閥4代目となり各事業部を株式会社として独立させた。この時、貿易事業が独立する形で、大正7(1918)年に三菱商事が誕生した。しかし、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指令により三井財閥、住友財閥と共に三菱財閥は解体され、1954年に三菱商事は改めて設立された。

 現在、三菱グループの中核企業の一つである三菱商事は、国内及び海外約90カ国に200以上の拠点を持ち、600社を超える連結対象会社を持つ日本最大の総合商社である。また、2016年3月期決算における売上高(IFRS基準)は、6兆9千億円の規模を誇る。

■変わりゆく総合商社の投資スタンス

 設立以来、三菱商事は多くのM&Aを手掛けてきた。その数は出資も含めると膨大な数に上り、現在の連結対象会社が600社以上であることもうなずける。

 総合商社はこれまで、例えば、「ラーメンからミサイルまで」を扱う投資スタンスから、今では「ローソンから石炭鉱山まで」の事業投資が主体となっている。つまり、ある程度特定の事業への投資しかできなくなってきている。それは、社員が直接事業投資先で経営するため、人の供給を絞る必要があるからである。

 こういった背景から、三菱商事では20年後を見据えて高い競争力のある「コア」の部分に投資し伸ばそうとしており、そうではない「ノンコア」の部分は売却するなど、「コア」に成り得る事業との入れ替えを進めている。

 同社は原則として、投資を考えるときにはそれに見合う入れ替えを用意して投資の優先順位を決めている。例えば、05年12月の新東亜交易の株式全てを兼松に売却した例や、衣食住の「住」分野への集中を目的とし、子会社の三菱商事建材が、エムシー砿産を吸収合併、グリーンハウザーの貿易事業譲受した例などがそれに当たる。

 02年、同社はさらにM&A事業を本格展開するため、投資ファンドの運用会社を設立している。M&Aに精通した外国人を数多く採用し買収案件の発掘を進めてきた。そして買収後も、短期間で企業の収益力を高めるため、過去に優れた実績を持つ人材を確保し、総合商社として蓄積したノウハウやネットワークを有効活用できるよう特定の産業に対象を絞り込んだ投資を行っている。

 08年3月期までの中期経営計画では、金融や企業再建ビジネスを重点分野に位置付け、中堅企業で投資ポートフォリオを組み、短期間で売買を繰り返して着実に投資収益を上げる戦略を打ち出している。