1913年に坂本は銀行経営の失敗などもあり、帯江鉱山を藤田組(現DOWAホールディングス<5714>)に売却することになる。と同時に犬島精錬所も藤田組に売却し、坂本は鉱山経営から手を引いた。
犬島精錬所はしばらく藤田組が経営していた。銅鉱石の採掘量も伸び、鉱山はもちろん精錬所も規模を拡大していた。ところが拡大基調は一瞬のことで、1910年代前半、まず帯江鉱山の採掘量が徐々に低下していった...
新潟県で花開いた石油産業。その重鎮の一人、「石油王」といわれたのが中野貫一だ。越の国・新津の油田開発と貫一、また貫一が興した企業のM&Aを追う。
1899年に建造されたレンガ造りのドライドックが国内で唯一残され、1000隻にのぼる艦船などを建造・修理してきた「浦賀ドック」。幾多の経営母体の変遷を経て、今年、横須賀市に寄付されている。