数奇な時を刻む99段の「百段階段」 ホテル雅叙園東京|産業遺産のM&A

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ホテル雅叙園東京(東京・目黒)

東京・JR山手線目黒駅西口を出て、閑静な行人坂を下ること約3分。ホテル雅叙園東京は都会の喧騒を忘れたかのように佇む。ブライダルや宴会、会議、各種の催事などで利用された人も多いだろう。最近はちょっと贅沢なリモートワークの場としても親しまれているようだ。

「昭和の竜宮城」の異名も

外観は閑静で瀟洒なホテル。だが、館内は文字どおり「雅」を叙されたような“ミュージアム・ホテル”である。

ホテル雅叙園東京という名称は2017年から。年配者には旧称の目黒雅叙園のほうが、馴染みがあるはずだ。目黒雅叙園は創業者の細川力蔵が東京・芝浦にあった自宅を改築した純日本式料亭の「芝浦雅叙園」に始まる。

当初は、日本料理や北京料理メインとする高級料亭だった。より多くの人に本格的な料理を食べてもらいたいと、1931年、気軽に入れる料亭として目黒に移してオープンした。来店客に味はもちろん目でも楽しんでもらいたい。この思いから、芸術家たちの壁画や天井画、彫刻などで館内の装飾を施した。やがて、豪華絢爛な東洋一の美術の殿堂、「昭和の竜宮城」と称されるようにもなった。

この豪華絢爛な料亭は日本初の総合結婚式場ともなった。現在、一般の中華料理店で見られる2層構造の円形ターンテーブルも、細川力蔵が考案したものだとされている。目黒雅叙園はアイデアマンであり大富豪の創業者、細川力蔵の才覚を存分に知らしめた。

異彩を放つ百段階段

天井の装飾も美しい百段階段(dekoの風 / PIXTA)

歴史的にも価値ある装飾ばかりだが、なかでもケヤキの板材でつくられた木造建築「百段階段」は時代を感じさせつつも異彩を放っている。もともとは目黒雅叙園の3号館として建てられた。高低差16m・総延長60mの細長い階段に沿って十畝荘、漁樵・草丘、静水・清方、星光・頂上などの間が並んでいる。

百段というが、実は99段。階段廊下の天井や各室内は、内外の銘木や絵画彫刻、螺鈿や金具などの装飾で彩られ、建具の細工も手が込んでいる。

百段階段は昭和初期の建築大工や装飾職人の高度な伝統技術、日本画家たちが腕を競い合い、一つの美として融合させた近代和風建築の結晶ということができる。近代東京の都市文化や社会像を知り得る資産としても価値がある。2009年3月に、細長い階段と階段に沿ってつくられた間のうちの4つが、東京都の有形文化財(建造物)に指定された。

翻弄された経営母体

当初から合資会社として同族経営が行われてきた目黒雅叙園は数奇な経営をたどっていった。1928年12月に創業し、1931年11月に目黒雅叙園として開業した。株式会社化されたのは70年以上経った2003年 5月。この前年、目黒雅叙園の運営を担っていた雅秀エンタープライズ(現・目黒雅叙園)という会社が経営破綻し、米投資ファンドのリップルウッド・ホールディングスに買収された。

直後の2004年5月に、海外リゾート挙式で知られるワタベウェディングが株式66%を取得して傘下に収めた。ワタベウェディングは翌2005年1月に目黒雅叙園を完全子会社とした。

また、目黒雅叙園と隣接するアルコタワーなどの施設はローンスターという米国の投資ファンドが所有したが、2014年8月、森トラストが買収した。ところが、森トラストは5カ月後に国ファンドのラサール・インベストメント・マネージメントに転売した。

イトマン事件で風評被害も

歴史をたどる意味で、隣接していた雅叙園観光(ホテル)についても触れておきたい。雅叙園観光はもともと目黒雅叙園の新館であった。「昭和の興行師」の異名を持つ松尾國三が1948年に経営に乗り出して雅叙園観光(東北雅叙園)を設立して分離。当時、合資会社雅叙園は地主として関係があったようだが、目黒雅叙園と雅叙園観光はまったく別の経営となった。

だが、1984年1月に松尾が他界。その後、雅叙園観光には仕手集団が絡む経営権の争奪戦が起こった。その過程で1986 年、雅叙園観光は戦後最大の経済事件といわれる「イトマン事件」に巻き込まれ、1997年に倒産。雅叙園観光が経営していたホテルもすべて閉鎖されてしまった。

目黒雅叙園としては、経営権からして預かり知らぬことである。だが、イトマン事件に雅叙園観光が巻き込まれると報道も大きくなり、目黒雅叙園は少なからぬ風評被害を受けた。

「興和」が新スポンサーに

雅叙園観光のホテル跡地は目黒雅叙園の手に戻り、2012年春に完成したオフィスビル・アルコタワーのエントランス棟として整備されている。

2017年4月、目黒雅叙園は「ホテル雅叙園東京」にリブランディングした。経営権を持つワタベウェディングは新型コロナウイルスで主力とする婚礼事業の業績が大幅に悪化し、2021年3月に自主再建を断念。私的整理の一種である事業再生ADR(裁判外紛争処理解決手続き)の活用を申請し、医薬品開発などの興和(名古屋市)をスポンサーとして再建を進めることになった。

興和は胃薬「キャベジン」、鎮痛・消炎の塗り薬「バンテリン」などで知られる。興和は本社を置く名古屋市で、名古屋観光ホテルなどのホテル事業を手がける。

文:M&A Online編集部

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