話は江戸後期・明治維新期にさかのぼる。1868年、神戸港が開港した。背後には六甲山系がそびえ、山並みがなだれ落ちるように迫る港町。それだけに海は深く、大きな河川もないため砂が運ばれることも少ない。六甲おろしと呼ばれる吹き下ろす山風は強いものの、基本的には東西に伸びる山々が季節風を抑えてくれる。まさに神戸港には天然の良港の条件が整っていた。

だが、港に欠かせない飲み水となると、大きな河川はないだけに乏しい限り。港の周辺は外国人の居留地が広がっている。多くの外国船が寄港し、その際には飲み水をくんでいくが、神戸港は飲み水に乏しい点では見劣りする港でもあった。ちなみに、明治初期の外国人居留地はもちろん神戸の市民は、街は賑わいを見せるものの井戸水に頼らざるを得ない状況だったといわれる。

船舶の水を支えた会社

布引貯水池への散策道から眺める神戸港

その悩みが解決されたのは1900年のこと。神戸の街に近代水道が敷かれた。日本の近代水道として東京や大阪といった大都市圏とともに、横浜や函館、長崎など外国との交流が開かれた街に次ぐ7番目の早さだった。

外国人居留地も含め、賑わう神戸の街の市民の喉は、近代水道によって潤すことができた。だが、港の船舶の飲み水を賄うまでには至らない。この役割を担ったのが、神戸良水という1898年設立の株式会社だった。

神戸良水は神戸市と特約を結び、1904年まで船舶用水の給水販売事業を担っていた。特に外国船舶の寄港に際しては、給水販売事業を一手に握った。だが、国家として諸外国に開かれた近代国家を目指していた明治期の日本。その基幹である港の水道を民間に頼れば、どうしても給水販売の価格などが安定せず、問題になりかねない。

また、事業の実態としては、神戸良水は市が港に設けた給水栓から用水を受け、外国船舶に供給していた。そこで神戸市では、船舶用水を賄ってきた神戸良水の買収に乗り出した。

船舶用水の給水販売事業は、神戸港を擁する神戸市にとって命運を賭けた事業ということもできる。そのため神戸市はこのための起債によって資金を捻出し、買収に乗り出したのである。