東京・池之端「水月ホテル鷗外荘」 クラウドファンディングが拓く活路|産業遺産のM&A

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水月ホテル鷗外荘にある森鴎外の旧邸(2020年5月撮影)

2020年5月31日。東京・池之端にある老舗ホテルが閉館した。「水月ホテル鷗外荘」。ホテルの敷地内に明治期を代表する文豪森鷗外の旧邸が残るホテルである。

森鷗外の旧邸は130余年もの間、東京・台東区池之端にずっと建ち続け、水月ホテル鷗外荘はホテル閉館から1年近く経つ今も、その旧邸を囲むように建っている。

ホテルそのものは120室ほどで、決して大規模なものではない。ホテルの玄関を抜けると奥の中庭、日本庭園風の敷地に、木造の古民家が佇んでいた。明治期の由緒ある“東京の平屋”を彷彿とさせる趣のある居宅は、令和の時代になっても健在。国内の観光客はもちろんのこと、外国人観光客からも人気があり、多くの宿泊客を迎えた。ホテル内には都内第1号に認定された天然温泉「天然鷗外温泉」もあり、立ち寄り湯として利用し食事を楽しむ地元ファンも多かった。

鷗外のデビュー作を生んだ家

森鷗外は海軍中将・男爵の赤松則良の長女登志子と1889年に結婚し、赤松家の邸宅を新居とした。そして結婚の翌年、ここで『舞姫』を発表した。鷗外にとっては文壇のデビュー作である。この邸宅は明治期のロマン主義の先駆けともいえる鷗外文学の発祥の地とされている。

鷗外がこの邸宅に住んでいたのは短い期間だった。だが、鷗外を中心に西洋の詩を翻訳した詩集「於母影」が編まれ、文芸評論誌「しがらみ草紙」が創刊された。衛生学者であった鷗外は医学誌にも活発な発言も行っている。鷗外の文学、学問研究などの表現活動は、すべてこの邸宅から始まったといってもよいだろう。

その後、鷗外は登志子との死別などもあり、この邸宅を離れた。そして80年ほど前、この邸宅が売りに出されていることを知った水月ホテルの先代が買い取った。ちなみに、水月ホテル鷗外荘の創業は1943年、運営会社の水月は1946年に設立されている。

鷗外の邸宅を買い取ってからは邸宅を「鷗外荘」と名づけ、ホテルの一施設として活用するようになった。鷗外荘のメインの日本間を「舞姫の間」と名づけ、約80年間、接待や宴会場、同窓会、歓送迎会、記念日の会食の場などとして利用されてきた。水月ホテル鷗外荘として鷗外旧邸を大事に守り続けてきたのである。

宴会場、接待、記念日の飲食などに活用された「舞姫の間」

第二次大戦の空襲にも耐えた鷗外荘。閉館前のことだが、訪ねてみると、樹齢300年の榧の木が残り、玄関周り、居室や調度品も当時の面影を伝えていた。もともと宮大工が建てたとされ、1本の釘も使わない組み込み式で、木材も節を除いて使っているため柱には節がない。天井は杉の一枚板を使ったようだ。

森鷗外の旧邸というだけではなく、明治期の歴史的な建造物としても貴重なものである。なお、鷗外荘の蔵は家から離れたところではなく、居宅に接して設けられた内蔵である。森鷗外生誕140年にあたる2002年に、食事、接待ができる特別室として改装したと従業員は語っていた。

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