港街・横浜の風情にしっくりと溶け込み、風格を兼ね備えたホテルがある。「ホテルニューグランド<9720>」。「ニュー」と名づけられたのにはワケがある。もともと「グランドホテル」という名称の、現在のホテルニューグランドとはつながりのない別のホテルがあり、いったんは会社は解散し閉鎖したものの、当時の面影を生かしつつ再興したからである。
最初のグランドホテルがオープンしたのは1873年。明治初期、新橋-横浜間に日本初の鉄道が開通した1年後のことだった。当時は西洋文化を積極的に学び、受け入れた時期...
神戸の水は外洋を航行する船乗りに「赤道を越えても腐らない」といわれた神戸の水は、なぜおいしいのか。その陰には神戸港の船舶用水の給水事業を一手に引き受けていた民間会社があり、その事業を買収した神戸市の水事業に賭けた意気込みがあった。
高野山口周辺に、江戸・明治・昭和初期にかけて「再織」という手法で栄えたものの、やがて潰え、そして平成、令和に向けて復活を遂げた伝統産業がある。高野口パイル織物だ。起死回生にはどんな対応があったのか。地場中小事業者の伝統と革新の道筋を見る。
愛知県知多半島にある半田赤レンガ建物は半田市のランドマークともいえる建造物。文化庁登録有形文化財、経産省認定近代化産業遺産に指定された半田市指定景観重要建造物の第1号でもある。東海地区を代表する産業遺産だが、実は数奇な運命をたどってきた。