先月、ソフトバンクグループ(以下、SBG)が、保有するArm Limited(以下、アーム)の全株式を、米国の半導体メーカーであるNVIDIA Corporation(以下、エヌビディア)に売却する旨を発表しました。

2016年にアームを約3.3兆円で買収した当時、SBGの会長兼社長である孫正義氏は本買収を「これまでSBGが行なってきた買収案件の中でも最も重要なものの一つだ」と豪語するほどアームに対する期待を寄せていたことから、投資から5年程度で売却することに対しては賛否両論の声が上がっています。

そこで、改めてSBGがなぜアームを売却することに決めたのかということについて考えてみたいと思います。

アーム売却取引の概要

まず、今回の売却取引の概要を押さえておきましょう。

SBGは、100%子会社であるSoftbank Group Capital Limited(以下、SBGC)と、ソフトバンク・ビジョン・ファンド(以下、SVF)が保有しているアームの株式を、全てエヌビディアに総額400億米ドル(約4.2兆円)で売却することになっています。

売却対価の受領方法・タイミング等をまとめると、以下のようになります。

図1 アーム株売却対価の受領方法・タイミング

売却対価の受領方法・タイミング
©筆者作成

ポイントとなるのが、売却対価にエヌビディア株式が含まれているという点です。そのため、本売却取引を実行後は、SBGはSBGCとSVFを通じてエヌビディアの株式を保有することになります。これによりSBGのエヌビディアに対する持株比率は、最大8.1%になるとのことです。

現在エヌビディアの筆頭株主である米国のヴァンガードグループの持株比率が7.94%であるため、本件実行後にSBGはエヌビディアの主要株主となることが分かります。つまり、SBGからすると、完全にアームとの関係が消失するわけではなく、エヌビディア株式の保有を通じて間接的にアームの株式を保有することになるということです。

図2 アーム株の保有関係(取引前・後)

アーム株保有関係(取引前・後)
©筆者作成

売却理由は、有利子負債を削減するため?

さて、SBGがアームの売却を決意するに至った理由として、「巨額の有利子負債を削減する必要性あった」ことが挙げられますが、実際にSBGの直近の財務状況はどのようになっているのでしょうか?

SBGの直近の第一四半期報告書から連結貸借対照表(BS)を確認してみましょう。

図3 ソフトバンクグループの連結BS

ソフトバンクグループ連結BS
©筆者作成

直近有利子負債が14.8兆円にのぼる一方で、現預金が6.2兆円、SVFによる投資が7兆円、その他の投資が6.4兆円となっています(なお、その他資産とその他負債が大きく減少しているのは、売却目的保有に分類されていたスプリントの資産・負債が除外されているため)。

ここで注意しておきたいのが、その他の投資に含まれているアリババへの投資は持分法で処理されていることから、BSにおける計上額が実際の時価評価額よりもかなり小さくなっているという点です。

直近の決算説明資料によると、2020年8月末時点でSBGが保有しているアリババ株式の時価評価額は15.6兆円とのことであるため、SBGが保有している換金可能資産は、BS上の金額よりもかなり大きくなっているのです。

図4 ソフトバンクグループの保有株式価値

ソフトバンクグループの保有株式価値
出典:SBG_ 2021年3月期 第1四半期決算 投資家向け説明会資料(財務編)

これに加え、SBGの1年内に返済が必要な短期有利子負債は3.5兆円であること、そもそも有利子負債は残高をゼロにするために返済だけが行われていくのではなく、借り換えや社債発行を伴いながら徐々に残高が削減されていくことを勘案すると、SBGの財政状態はそこまで危険だというわけではなさそうです。

また、SBGは、2020年3月に発表した「4.5兆円プログラム」の一環で既に4.3兆円を資金化し、これまでに1.2兆円を有利子負債の返済に、1兆円を自己株式の取得に充てています。つまり、既にSBGは4.5兆円プログラムで想定していた資金化をほぼ完了させているので、短期的な資金需要は概ね満たしていると考えられるのです。

そう考えると、アームの売却収入が発生することでSBGの財務的安全性が高まることは間違いないですが、少なくとも安全性の確保だけを目的に今回の売却を行っているわけではなさそうだと言えるでしょう。

エヌビディアが4.4兆円でアームを買収する理由は

では、そもそもエヌビディアは、SBGが2016年に3.3兆円で買収したアームをなぜ4.2兆円もの金額で買収するのでしょうか?

両社の事業を概観した上で、考察してみましょう。

まず、エヌビディアは1993年に設立されたGPUメーカーです。GPUとは、Graphic Processing Unitの略で、3Dグラフィックスなどの画像描写を行う際に必要となる計算処理を行う半導体チップを指します。コンピューター全体の計算処理を行うCPUと比べ、GPUは画像描写を行う際の計算処理に特化しているという特徴があります。

例えば、ゲームを動かす際には膨大かつ複雑な計算を行い、それをディスプレイに描写させ続ける必要がありますが、このような画像を描写するために必要な計算処理をGPUが担っているのです。そのため、高性能なGPUが搭載されているパソコンを使っていると、重いゲームもサクサク動くようになります。

そして、GPUによる計算機能は、AIの発展を支える技術の一つである「ディープラーニング」に非常に適しています。

例えば、犬の画像を見てコンピューターにそれが犬であると認識するために、背後では膨大な量の計算が行われているのですが、この計算が、画像描写を行う際の計算とほとんど同じであることが分かったのです。そのため、GPUを使うことで、CPUよりも数百倍もの速さでディープラーニングの計算を完了させることができるようになります。

かなりざっくりした説明ではありますが、AI技術に脚光が浴びるなかでGPUの開発・製造を行うエヌビディアが再び大きな注目を集め始めたのは、このような背景が一因としてあると言えるでしょう。

一方のアームは、CPUの設計で世界最大手の会社です。アーム自身がCPUの製造を行っているわけではなく、設計を行い、半導体パートナーにライセンシングを行うことでライセンス料を受領しています。アームの世界での普及度合は凄まじく、なんとこれまで累計1800億台ものコンピューターにアームが設計したCPUが実装されています。

図5 アームのビジネスモデル

アームのビジネスモデル
出典:ソフトバンクグループHP

このようにアームが設計するCPUは世界中で広く使われているため、例えばアームが設計したCPUにエヌビディアのGPUも搭載したり、GPUの稼働に最適なCPUを設計したりすることで、エヌビディアのGPUも現在より飛躍的に普及させることが狙える可能性もあります。

なお、エヌビディアの創業者兼CEOであるジェンスン・ファン氏は、以下のように述べています。

エヌビディアの AI コンピューティングと広大に普及されたアームCPU が一体となると、私たちは、非常に優れた AI がもたらす、前途に待ち受ける絶好の機会を活かして、クラウド、スマートフォン、PC、自動運転車、ロボティクス、5G および IoT でのコンピューティングをさらに前進させることができるようになるでしょう。

ソフトバンクの本当の狙いは?

さて、ここまで以下の点について述べてきました。

・SBGがアームの全株式を売却するに至ったのは、有利子負債の削減だけが目的であるとは考えにくいこと
・GPUのエヌビディアがCPUのアームと組むことで、大きな事業シナジーが発生することが期待されていること

これらを勘案すると、SBGの本当の狙いは、1兆円を超える現金だけでなく、対価として受領するエヌビディア株式の価値上昇を通じた利益の獲得にあるのかもしれません。

つまり、

売却対価に、現金だけではなく、売手が発行する株式も含める
  ↓
売却先を、大きな事業シナジーが生じると見込まれるエヌビディアとする
  ↓
アームとの事業シナジーにより、エヌビディアの価値が大きく上昇する
  ↓
SBGが保有するエヌビディアの株式価値も大きく上昇し、投資利益が生じる 

という流れを狙っている可能性が高いということです。

もちろん、本当の狙いはもっと他の大きなことにあるのかもしれませんが、筆者は、少なくとも孫氏が単に現金だけを求めてこの売却取引を行っているわけではないと考えています。

売却取引が完了するのは2022年3月を予定されているため、今すぐには本当の狙いが何だったのかは分かりませんが、取引完了後のエヌビディア及びアームの動向には引き続き注視していきたいところです。

文:公認会計士 吉田 有輝