現在のモノレールは1本のレールにぶら下がる方式と、1本のレールにまたがる方式の2つに大別される。前者が懸垂型と呼ばれ、後者は跨座型と呼ばれている。

往年の雄姿・上野動物園モノレール(fujikiseki/写真AC)

2019年11月に運行を終了した上野動物園モノレールは日本で最も古い懸垂型であり、東京モノレールもまた日本で最も古い跨座型モノレールの1つに分類される。

この跨座型は懸垂型と同様に、さらにいくつかのタイプに分類される。その1つに1964年の東京五輪当時に開発されたアルヴェーク式と呼ばれるタイプがある。アルヴェーク式とはスウェーデンの起業家・実業家・投資家、また資産家・富豪でもあり、エレクトロラックス社の創業者として現在の掃除機産業をスウェーデン国内主力産業に定着させたアクセル・レンナルト・ヴェナー=グレンの頭文字をとったものだ。

アクセル・レンナルト・ヴェナー=グレンはドイツの技術者から譲り受けたモノレールの特許を実用化。それにより、1962年には米国シアトル万博の開催に合わせてアルヴェーグ式モノレールが開業した。

その技術を日本で生かす際に技術協力したのが日立製作所<6501>だった。そのため、アルヴェーク式は日本では日立アルヴェーク式とも呼ばれている。

“日立”を被存続会社にした東京モノレール

おそらく一家言ある鉄道ファンもモノレールファンも、上記の記述では議論百出の奥深いテーマだろう。それを承知で、強引にモノレールの分類と歴史をかいつまんでまとめてみた。

日本の跨座型モノレールの元祖・東京モノレールは、前回の東京五輪の開催に合わせ1964年9月に開業した。企業体としての東京モノレールは現在、JR東日本<9020>グループの一員。だが、JR東日本の子会社になる2002年度末まで、東京モノレールの大株主は日立物流<9086>だった。しかも、株式の100%を日立物流に握られていた。

では、なぜ、親会社が日立物流だったのか。日立グループが東京モノレールの技術に深く関わったから、ということはできるだろう。だが、企業としてのM&Aのスキームによる面もあった。もとは東京モノレールが日立物流をグループ会社化していたかに見えるような時期もあったのである。

日立物流の沿革を見ると、創業は1950年2月、茨城県日立市が本社の日東運輸として特定貸切貨物自動車運送事業を始めた。商号に日立の名を冠したのは1952年12月、日立運輸に商号を変更したときだった。だが、日立物流の登記上の設立時期は1959年8月である。なぜ、このように登記上の設立時期が創業時期と大幅にずれたかたちになったのか。

実は日立物流(当時は日立運輸)は1967年11月に、西部日立運輸と東京モノレールと3社合併し、商号を日立運輸東京モノレールに変更した。この3社合併の存続会社が東京モノレールだったのである。そのため、東京モノレールが会社として設立された1959年8月が日立物流の登記上の設立時期となったわけだ。

3社合併のとき、日立運輸は被存続会社だった。日立運輸は、創業から3社合併までの10年ほどの社歴にこだわらず、被存続会社に回り、その社名と組織体を東京モノレールに譲った、ということもできるだろう。

だが、東京モノレールは、その後、名が示すように独自に1本のレールを進むことになった。1981年5月に日立運輸東京モノレールは東京モノレールを分離したのである。このことによって、再び日立運輸は商号として復活し、東京モノレールの大株主となったのである。