創業100年を超える老舗食品メーカー、カンロ。1912年、創業者の宮本政一が山口県熊毛郡島田村清山(現光市)で宮本製菓所を開業した。

始まりは販売総代理店の契約から

カンロの筆頭株主は三菱商事で、約30%の株式を保有する。三菱商事の事業ポートフォリオの中で、カンロは生活産業グループ・生活消費材本部の1社と位置づけている。

総合商社は事業投資先としてめぼしい企業を発掘し投資するビジネススタイルに軸足を移してきた。三菱商事にとって現在のカンロはその1つであり、“意外な子会社”とはいえないかもしれない。

だが、カンロ側から見れば、事情は少し異なる。カンロと三菱商事との関係は、カンロが山口県光市に子会社の光製菓を設立(その後、光製菓は「ひかり製菓」と社名を変更し、現在はカンロに吸収合併されている)した翌年、1973年に販売総代理店契約を締結したことに始まる。

カンロは用意周到に販売網の整備・拡大の手を打っていた。すなわち、カンロは自社の積極経営の手段として三菱商事という商社をとらえていたようだ。カンロは三菱商事と販売総代理店契約を締結し、現在は非連結の関連会社に位置づけられる。

業績悪化を受け、三菱商事がトップを派遣

カンロは1963年、東証2部に上場した。これを機に同年、本社を東京都中野区に置いた(現在の本社は東京都新宿区)。

老舗企業は伝統に固執するあまり、場合によっては“小さくまとまる”状態から脱しきれないケースもある。そのなかで、三菱商事との販売総代理店契約の締結は、先見の明のある“エンタープライズな選択”だったのかもしれない。

カンロの積極戦略が裏目に出たこともあった。新商品の売れ行きの伸び悩みなどが影響し、2014年12月期には5億円近い最終赤字に陥った。

従来、カンロは三菱商事に対し、「社長を出してもらうつもりはない。サポートはしてもらう。専務クラス、常務クラスは出してほしい」(『智慧の燈火・カンロ』より)と言い続けていた。強気の姿勢を崩さなかった。だが、事態は一転する。三菱商事は経営トップをカンロに送り込み、経営の立て直しに乗り出した。

その手法は、第一に当時、事業拡大策として推進してきた海外展開の中止。海外ビジネスがあってこそ旨味のある三菱商事としても、厳しい選択だったことが想像される。