米ゼネラル・モーターズ(GM)が韓国GMの組立工場4カ所のうち全羅北道・群山(クンサン)市の工場を閉鎖、残る3工場も韓国政府や労働組合と協議して近く存廃の結論を出すことを明らかにした。事実上の撤退宣言で、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領も「群山工場閉鎖で地域経済に大きな打撃が予想される」と警戒している。実はこの韓国GM、意外なことに日本と縁が深い。

「2017ソウルモーターショー」の韓国GMブース

トヨタから技術供与

 同社の前身は1954年に自動車部品メーカーとして創業した「新進工業」。1958年からは駐留アメリカ軍のジープの修理や改造を手がけ、自動車メーカーとしての足がかりをつけた。1964年には「新進自動車工業」と改称し、日韓国交回復前の同年10月にトヨタ自動車<7203>から技術供与を受ける契約に仮調印する。

 1965年に韓国政府から国内小型車生産の独占企業に指定されたのを受けて、1963年に経営破綻したセナラ自動車の製造施設を買収した。それまでの新進自動車はマイクロバスメーカーだったため、小型乗用車生産のノウハウが乏しい。そこで、セナラが日産自動車<7201>の「ブルーバード」をノックダウン生産(他国で生産された主要部品を輸入して組み立て)した車両をデッドコピー(模造)していたが、価格が高いうえに故障も多く、販売は伸び悩んだ。

 トヨタからの技術供与は1966年にならないと始まらないため、新進自動車は1965年に新三菱重工業(現・三菱自動車工業<7211>)と提携して「コルト1000」のノックダウン生産に乗り出した。これに驚いたトヨタ自動車販売(現・トヨタ)の神谷正太郎社長が、朴春琴(パク・チュンクム)元衆議院議員を通じて朴正煕(パク・チョンヒ)大統領に「新進自動車はすでにトヨタと契約しており、新三菱重工業との契約は無効だ」と訴えた。その結果、1966年1月に新三菱車のノックダウン生産部品は輸入禁止となる。代わって新進自動車では、トヨタの「クラウン」や「コロナ」「パブリカ」「トヨエース」のノックダウン生産が始まった。