「鉄は国家なり」を体現してきた新日鉄

「鉄は国家なり」「鉄は産業のコメ」。今はついぞ聞かれなくなったフレーズだが、戦前、戦後の高度成長期にわたって鉄鋼産業の力は国家の力そのものだった。あらゆる産業に基礎素材の鉄を供給し、経済を支えるとともに、輸出を通して海外情報の最先端に位置していた。それゆえ、鉄の利益は国益と合致し、鉄の課題は国家の課題でもあった。そのリーダーが特別な生い立ちを持つ日本製鉄の流れをくむ新日鉄だったのだ。

新日鉄時代、経団連会長を稲山嘉寛(官営八幡製鉄所・日本製鉄・八幡製鉄出身)、斎藤英四郎(八幡製鉄出身)、今井敬(富士製鉄出身)の3人輩出しており、こうした例はほかにない。東芝、トヨタ自動車は各2人にとどまる。現在、日本商工会議所会頭を務める三村明夫氏(富士製鉄出身)も新日鉄社長・会長の経験者だ。

住友御三家の一角を占めた「住金」

一方、住友金属工業は1949年に新扶桑金属工業として設立し、その3年後に社名を改めた。ルーツは戦前にさかのぼり、日本製鉄が誕生した翌年の1935年、住友グループ内の鉄鋼会社が合併して住友金属工業として発足したが、終戦をはさみ、いったんその名前が途絶えていた。住友金属工業は戦後、住友銀行(現三井住友銀行)、住友化学とともに住友グループの御三家でもあった。   

新日鉄の誕生以来、続いてきた大手5社体制だが、21世紀に入ると状況が一変。2002年に、NKKと川崎製鉄が経営統合し、JFEホールディングス<5411>が誕生した。1990年代、世界的に鉄鋼再編が進んでいたが、国内ではルノーが日産自動車を買収してカルロス・ゴーン氏が徹底したコストダウンを実行。いわゆる日産リバイバル(再生)プランだ。鉄鋼各社にも大幅な値引きを要請し、とりわけ日産向けに鋼材供給が他社に比べて多いNKKに危機感が走ったとされる。こうした中、新日鉄対抗として、NKKと川鉄が手を組んだ。

当時、住友金属工業も加わり、NKK、川鉄との3社連合構想も取りざたされた。住友金属は単独での生き残りを模索したが、誤算だったのが2008年のリーマンショックによる世界的な景気後退。最終的に同社は新日鉄との経営統合の道を選び、「新日鉄住金」として再出発した。