見義不為、無勇也
義を見て為(せ)ざるは、勇なきなり。(巻第一 為政第二より)
これも、有名な孔子の言葉です。「行なうべきことを前にしながら行なわないのは、臆病者である」と訳すことができます。
この言葉が出てくる文章は、祭礼について語っているものです。人に強いられて行う祭事もあれば、義で行う祭事もある。本来祭るべきでないものを祭ることは、へつらいになる(おそらく、当時の為政者や権力者の考えに媚びることを指すのでしょう)。自分の祭るべきものを祭る勇気を持てと語っているのです。
この言葉から思うのは、仁が自分の中から出て来たミッション・ビジョンであるのに対して、義はそれ以前に、すべきことがあるだろう、と示唆しています。そこには、「私」はないのです。過去であるとか、周囲がある。過去や周囲から求められている道筋を歩むことも、疎かにはできません。それを無視することで仁も歪んでくるのです。
孔子が義を重視するなら勇気も必要と指摘しているのは、義に基づいた行動は周囲から強い反対を受ける可能性も高いからでしょう。
「いま、そんなことをすべきではない」とか「それは古い考えだ」とか「利益を重視するなら、そこは無視しましょう」といった反対意見で諫められていくような性質が「義」にはあるのです。
なによりも、義には「私」が存在しない、または中心ではないので、自分でもそれをあえて実行することに抵抗があるでしょう。
ただ、いまここにいる私たちも、過去の人たちの流れの上に立っているので、すべてが完全に自分だけで成り立っているはずはなく、そこには過去からの多くの影響が含まれているはずです。
そのとき、過去だけを重視したのでは、いまを生きる人たちの支持は得られません。でも現在の利益だけを追求したのでは、そもそも自分たちの寄って立つところを失う可能性もあります。
過去を断ち切り、新しい未来を切り拓く──。将来の希望を手に入れるためにすべきことは多く、そのときに不要になったものを切り捨てる必要もあります。M&Aでいえば、不採算になってしまった事業は廃業するか譲渡することになるのですが、そのとき、ただ不採算だからという理由だけで実行するのは、あまりにも義に欠けています。
「あのブランドを捨ててしまったなら、この店には魅力がない」と思う人も出てくるかもしれません。「これまでさんざん世話になった事業を捨てるのか?」とショックを受ける人もいるでしょう。そこを合理的な数字としての理屈だけで説明するのではなく、義を尽くすことも必要なのではないでしょうか。
このように複雑な状況で、義を考えるときに「礼智信」の役割も欠かせません。次回からは、儒教の五常「仁義礼智信」の関係を現代のビジネスに応用する道を探りましょう。
※『論語』の漢文、読み下し文は岩波文庫版・金谷治訳注に準拠しています。
文・舛本哲郎(ライター・行政書士)
31歳で働きながら公認会計士を目指した筆者の独断と偏見による試験合格に役立つ勉強法を連載形式でお届け。今回は基礎科目の「財務会計論(会計学)」の勉強法をアドバイスする。