富や利益につきまとうプロセス

 論語には、富や利益について厳しい言葉が散見されます。紀元前の頃から人間は、もっとお金持ちになりたい、もっと利益を得たいと願って生きてきたわけで、その点では私たちとそれほど隔たりはありません。

 多くの数字を扱うM&Aにおいては、数字に強いことはとても重要です。ですが、数字に埋もれてしまっては大切なことを見失う可能性があります。単純な引き算で、少しでも安く買えば利益が出ます。少しでも高く売れば利益が出ます。ただ、数字を扱いすぎて、まず利益ありきで計算をはじめてしまうと、人と人の交渉にとっては必ずしも思惑どおりにはいかなくなる可能性が高くなります。

 こちらが利益を得ることは、相手もわかっているのです。相手が損をすればこちらの利益になることも、お互いにわかっている。その上で交渉をしなければならないのですから、そのときに利益だけ、数字だけを見ていると行き詰まってしまう可能性があります。

 富も利益も、最終的に手にしたときに実感できるもので、机上の空論ではなんの役にも立ちません。では、最終的に手に入れて満足できる富、利益とはなにか。そこを考えていこうと、孔子は言っているのです。

子の曰わく、富と貴(たっと)きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。貧しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。君子、仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん。君子は食を終うるの間も仁に違(たが)うこと無し。造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必らず是に於いてす。(巻第二、里仁第四)

 孔子は、こう言ったそうです。

「富や地位は、誰でも欲しがる。だが、それにふさわしい方法で得なければ、富や地位を保てない。貧乏や低い地位は、誰もが嫌がる。だが、ふさわしい方法でそうなっているのなら、そのことを無視してはいけない。人としての理想を考えれば、仁を捨てて名を成すことはあり得ない。食事を終える間にも仁を忘れることはなく、事態が急変しても、つまづいてしまったときも、仁を忘れたり無視することはない」

 渋沢栄一著『論語と算盤』では、この言葉について「富貴を賤しんだところは、一つもない」と指摘。当時も、孔子のこの言葉から富や地位を否定するような解釈が一般的だったことがうかがえます。そして渋沢翁は、「道理を踏んで得たる富貴ならば、あえて差し支えないとの意」と断じています。