​義を果たす勇気とは?|M&Aに効く論語7

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Bastian Weltjen/iStock

義によるチェック機能とは?

 その意味で、義を「正義」としてしまうと、私は少しばかり具合が悪いと思います。義にも正義の意味は含まれていますが、そこに「正」を追加することで、あたかも世界には唯一絶対の正しい道があるかのように強調されてしまいます。

 ある人の正義は、別の人にとっては不正義になるこの時代、自分たちの正義を押しつけるだけでは、ビジョン・ミッションは果たせないのです。

 仁は、自分の心に従って行動すること。義は、世の中の道筋に従って行動すること、と言い換えたとき、前回の「利があるときに、義を思う」ことがより具体的になってきます。

 つまり、「自分にとって利益になる」ことを前にしたときこそ、「果たしてその利益を得ることに義はあるのだろうか?」と考えてほしいと孔子は言うのです。一種のチェック機能です。

社内クーデターにも、仁と義がある

社内クーデターにおいて、「義」はどこに、どのように存在するか(Giulio Fornasar/iStock)

 たとえば、親子で経営していたとして、子が画策して会社を乗っ取り、親を経営陣から放逐する、いわばクーデターを起こしたとします。

 このとき、さまざまな仁と義が交錯していきます。

 子の仁としては、「親の考えのまま進めば時代に乗り遅れて会社は継続できなくなる」とし、「いまの時代にふさわしい会社につくり替える」ことがミッションとなります。ですが、親子の関係で見れば、義として「親を追放するようなクーデターをする子を信用できるだろうか?」といった考えも存在することを見通しておくべきでしょう。

 仁はすばらしいとしても、それによって得られる利は自己中心になっていないか。義はどこにあるのか、と考えるのです。

 当然、このクーデターにも義はあります。子の側の義は「お得意さまや従業員を守るのが経営者の使命だ」と言えるからです。「ビジネスにおいては親も子もない」と言い切ってもいいし、「あくまでビジネスの問題なので、親子の縁を切るわけではない、親のことはいまも尊敬している」と表明するのもありでしょう。

 でも、そのときの義は、いったいどこに存在するのでしょうか? コンプライアンスとして正しいことでも、義には反する行為もあるのではないか? こうしたケースでは、義についてより深く考えてしまうわけです。

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