「仁」は徳の中心にある

  前回に引き続き、「仁の思想」について考えてみましょう。

 仁とは何か。今風にいえば、仁にはビジョンやミッションが含まれる。そう感じた理由には、論語のなかに次のような言葉があるからです。

知及之、仁不能守之、雖得之必失之

知はこれに及べども仁これを守ること能(あた)わざれば、これを得ると雖(いえ)ども必らずこれを失う(巻第八 衛霊公第十五より)

 この言葉はまだ続きがあるのですが、今回は割愛します。この言葉から、孔子は、仁を中心に、知識、荘(おごそか、威厳)、礼儀といった要素が合わさって、はじめて多くの人を納得させ行動させることができると考えていたのではないかと推察できます。

 五常「仁、義、礼、智、信」は、並列ではなく、仁は核となる考え、「なぜ」であり「愛」であり、「義、礼、智、信」の中心にあって徳を実現するために、相互に作用しているシステムなのではないでしょうか。

 生き残ること、人々を掌握すること、そして勝利すること、勝利したのち平和を維持し、あるいは勝利し続け繁栄し続けるためには、仁を核とし、義・礼・智・信という要素を上手に組み合わせることができなければムリだと説いているように思えます。これは、「目的のためには手段を選ばない」「どんな手段でも、結果として利益を増進させるなら許される」といったマキャベリズムの一般的な捉え方を超えた思想ということができます。

人を動かす力とは(turk_stock_photographer/iStock)

 では、核を仁(ビジョン・ミッション)に置いたマキャベリズムは成立するのか。その立場に立つと、「仁に適うことであれば、なにをやってもいい」となりがちですが、そうしたマキャベリズム的な思想を礼や義・智・信でカバーしていくこと、同時に仁や智や礼や義や信はそれぞれ相互に関連していき、全体のバランスが重要になっていくことが大切であることを示唆しているのです。

 仁の核になるのは「なぜ」を問う愛の心です。なぜ自分はそれを行うのか。その問いを突き詰めることでビジョンやミッションが生まれ、そのビジョンやミッションは「なぜ」を問い続ける愛の心に裏打ちされていくのでしょう。

 M&Aで考えれば、「なぜ売却するのか?」「なぜ買収するのか?」、その本質にマキャベリズムや功利主義を超えた「仁の思想」があることが望ましいのではないだろうか。仁を核に据えて礼・義・智・信のバランスのとれたエンジンを動かすことが、プロセスを歪みなく進ませる最大のポイントとなり、人々を動かす力になると考えることができます。

 むずかしく考える必要はありません。人は、「なぜ」を明確にできないうちは動かない。「なぜ」を明確にできないビジョンやミッションは、多くの人を動かす力にはならないのです。