「弘前れんが倉庫美術館」りんご酒とともに歩んだ百余年|産業遺産のM&A
「弘前れんが倉庫美術館」の建物は、もともと地元酒造会社の工場・倉庫だった。同時に、日本のシードル(りんご酒)発祥の地でもあった。美術館として再生するまでの歴史をたどる。
印刷歴史館を見学してみると、国内外の印刷技術とその成果が集結した史料館であることがよくわかる。
楔形文字で刻まれた実物の粘土板、世界最古の量産印刷物とされる実物の百万塔・無垢浄光陀羅尼経、かつてグーテンベルク博物館に展示され現存する実機はないとされる印刷機と同仕様でつくられたグーテンベルク印刷機(複製)、グーテンベルク印刷機によりラテン語活字で印刷され、現在はヨーロッパを中心に世界で48冊が残っている「42行聖書」のファクシミリ版、中国宗時代の慶歴年間(1040年代)に使われていたとされる木製活字(木活字)の実物、現在のオフセット印刷の原点とされるゼネフェルダー石版印刷機の実機、杉田玄白他訳の『解体新書』の実物、同社が手がけた『原色日本の美術』(小学館)や『国宝』(毎日新聞社)などを印刷したハイデルベルグ活版印刷機の実機などが並ぶ。
現在もノコギリ屋根の工場群はNISSHA本社敷地内の北側にいくつか残されているが、老朽化により崩壊リスクがあったため、半数近くは解体されたという。
印刷歴史館の2階バルコニーから見る限り、レンガ造りのノコギリ屋根工場群は、「そこにある」だけで、事業的な価値はそれほど高くはないようにも思える。だが、そこには旧京都綿ネルと京都の紡績・繊維産業を支えた紡績会社への同社の敬意があるように感じられた。
現在、NISSHA印刷歴史館はニッシャ印刷文化振興財団が建物全体の管理・運営を担っている。2011年には文化庁から国・登録有形文化財の登録認定を受け、今後も長く文化と歴史を象徴した建物として保存され続ける。
文:菱田秀則(ライター)
「弘前れんが倉庫美術館」の建物は、もともと地元酒造会社の工場・倉庫だった。同時に、日本のシードル(りんご酒)発祥の地でもあった。美術館として再生するまでの歴史をたどる。
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