岐阜県の南東部、中津川市や恵那市などがある東濃地方は、木曽川を利用した水力発電所やダム、木曽檜を運搬する鉄道が早くに建設され、関連の産業遺産が数多く残っている。たとえば恵那市と中津川市の境、恵那峡にある大井ダムは福沢諭吉の娘婿であり電力王と呼ばれた福澤桃介が開発した日本初の水力発電用高築堤ダムだ。
そして、2022年に100周年を迎えた北恵那交通株式会社も、福澤桃介が初代社長を務めた老舗の運送会社である。その北恵那交通は、かつて北恵那鉄道線、大井線など複数の鉄道路線を擁していた。
電力王・福澤桃介が木曽川の電力開発に伴って北恵那鉄道という会社を設立したのは1922(大正11)年。同社の主要路線である北恵那鉄道線(略称:恵那電)は当時の国鉄中津川駅前にあった中津町駅と、付知町(下付知駅)を結んでいた。延長22.1km、13駅を約50分で結ぶ路線として敷設当初から電車を走らせた。
蒸気機関車が主流の大正時代にあって電力で走る恵那電は大きな注目を集めた。関西電力、中部電力、東邦ガス、名古屋鉄道、西日本鉄道、大同特殊鋼といった電力会社・鉄道・電気化学工業などの立ち上げに関わった福澤桃介の意気込みが感じられる。
恵那電の北の終着駅である下付知駅には広い貯木場があり、その先は旧加子母村(現 中津川市加子母)の山林まで森林軌道が通っていた。恵那電はその木材運搬のほか、地元産の石材などの運搬にも携わった。もちろん、地元住民の通勤や通学の足としても活躍した。「見た目は都市部の市電のような姿ですが、後ろに貨車を引いていた」と、『北恵那交通株式会社 設立100周年記念誌』には記されている。
恵那電は1922年に開業しているが、現在の北恵那交通の前身である北恵那鉄道という鉄道路線は1924年に営業を始めた。ちょうど福澤桃介が大井ダムを完成させた年である。
創業から1970年代のモータリゼーションを迎えるまで鉄道一辺倒であったように思う向きもあるが、そうではない。
実は、北恵那鉄道はバス事業を相当早くから行っていた。開業7年後の1931年には中津町~下付知間で乗合バスの運行を始め、2年後の1933年には中津町~恵那峡間で、これも乗合バスの運行を始めている。早くから鉄道とバスの2本建てで東濃の交通網を整備し、やがて鉄道が通っていない他の地区にも乗合バスを通した。
大きな転機が訪れたのは1963年。北恵那鉄道は名古屋鉄道(名鉄)グループの傘下に入る。3500万円だった資本金を6000万円に増資。中間山間地に欠かせない足としての成長を企図したのであろう。
ところが1970年代にかけて、鉄道は衰退の一途をたどる。高度成長期を経て沿線は過疎化し、利用者は急減した。木材輸送の主役も木流し、森林軌道、鉄道は影を潜め、トラックに取って代わった。北恵那鉄道としては、収益の減少に歯止めがかからなくなっていた。
清水港湾博物館(フェルケール博物館)の裏手にひっそりと建つ「缶詰記念館」。清水の缶詰産業の源流であるとともに、SSKブランドで知られる清水食品の源流でもある。
“世界のトヨタ”、そのルーツは豊田一族が邸宅を構えた名古屋市東区主税町界隈にある。現存するのは、トヨタグループの創始者・豊田佐吉の弟佐助の旧宅だけとなっている。
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新潟県で花開いた石油産業。その重鎮の一人、「石油王」といわれたのが中野貫一だ。越の国・新津の油田開発と貫一、また貫一が興した企業のM&Aを追う。
埼玉県最古の歴史を持つ映画館が川越スカラ座だ。2000年代にいったんは休館するものの、地元有志が買い取り、再オープンに漕ぎ着けた。首都圏近郊のミニシアターとして、地元ファンの人気を集める。
札幌の赤レンガといえば北海道庁旧本庁舎が有名だが、サッポロビール博物館の赤レンガも同時期に竣工した建造物である。数奇な歴史を辿る“もう一つの赤レンガの物語”。
通天閣は第二次大戦前までの初代と戦後再建された2代目、合わせて100余年にわたり大阪のまちのシンボルとして建つ。その間、3 度にわたり所有者が変わってきた。
かつては世界の7割のシェアを誇った北海道の北見ハッカ。海外生産などの波に揉まれて2度、停滞・衰退の道をたどる。だが、そのたびごとに復活を遂げてきた。
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1899年に建造されたレンガ造りのドライドックが国内で唯一残され、1000隻にのぼる艦船などを建造・修理してきた「浦賀ドック」。幾多の経営母体の変遷を経て、今年、横須賀市に寄付されている。
佐世保重工業や函館ドックを擁する老舗造船所の1つである名村造船所<7014>。その大阪工場・船渠跡地は2005年にクリエイティブセンター大阪という大阪のアート情報の発信拠点となっている。