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2つのルーツを持つ「南部鉄器」の底力|産業遺産のM&A

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奥州市鋳物技術交流センターにある南部鉄器「大鉄瓶」

日用品の水沢鉄器と嗜好品の盛岡南部鉄器

水沢鋳物は伊達藩の保護のもと、盛岡南部鉄器とは異なる発展を遂げていく。その違いは一言で述べると、生活用品の水沢鉄器と、茶の湯をはじめ趣味嗜好品の盛岡南部鉄器の違いである。水沢鉄器は鍋や釜はもちろん、戦国時代には武具も鋳造し、その技術を発展させてきた。一方の盛岡南部鉄器は、鉄瓶や湯釜などいわゆる風流な鋳物を製造し、文化を育んできたといえる。

両者が融合してきたのは江戸期に入ってからである。水沢鉄器と盛岡南部鉄器は、ともに寺社仏閣の梵鐘などにも使われるようになっていった...

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