【八十二銀行】長野県のトップバンク、今年で誕生90年|ご当地銀行のM&A

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1991年8月にシンボルマーク・行名ロゴを一新した八十二銀行(長野県:伊那市駅前支店)

長野県のトップバンク八十二銀行<8359>は、2つの国立銀行の合併で誕生して今年90年となる。地域によって独立色の強い長野県にあって、地元を深耕するとともに、県外や海外にも積極的に拠点を展開してきた。

八十二銀行には2つの前身銀行がある。1つは1877年10月に創立した第十九国立銀行。長野県佐久地方の豪商、黒沢鷹次郎らが現在の上田市で設立した。当時は、常田館製糸場の記事にもあるように、上田・諏訪地方の地場産業であった養蚕・生糸事業を中心に事業を拡大した。

もう1つは1878年10月に創立した第六十三国立銀行である。創立当初の本店は松代町(現長野市)だったが、1893年に稲荷山銀行と合併し、本店を千曲市に移した。その背景には1893年の松代大火などで第六十三国立銀行の経営が傾き、稲荷山町(現千曲市)に本店を置く稲荷山銀行の支援を得て合併したという経緯があったようだ。

長野県、特に上田周辺の東信地方は、日本を代表する養蚕王国であった。稲荷山銀行と合併した第六十三国立銀行も、地場産業である養蚕・生糸事業の隆盛とともに勢力を拡大していった。

ちなみに長野県内には、上記の国立銀行のほか、第十四国立銀行(松本)、第二十四国立銀行(飯山)、第百十七国立銀行(飯田)があった。長野県は北信、中信、南信、東信、さらに善光寺平、松本、佐久、伊那、諏訪、木曽……など地域によって独自・独立色が強いが、そんな群雄割拠たる気風が明治期の金融業界にも表れているようだ。

東信地方で繰り広げられた金融の合併劇

まず、1年先輩格の第十九国立銀行のM&A史を見ていこう。第十九国立銀行は1897年に国立銀行の営業年限が切れるまでM&Aはなく、そのまま第十九銀行に改称、普通銀行に転換した。その後、信濃貯金銀行、信州銀行、南佐久銀行、東山銀行、中野銀行など東信地方を中心とした地場金融機関とのM&Aを重ねた。

一方の1年後輩格の第六十三国立銀行も、創立後20年の普通銀行への転換までは、前述のように稲荷山銀行と合併した程度で、特段のM&Aはなかった。

だが1897年に普通銀行に転換して以降は、第十九銀行をしのぐ積極的なM&Aを展開している。ざっと挙げると、買収したのは塩川銀行、信濃商業銀行、高島銀行、小谷銀行、松代保全合資会社であり、合併したのは高井銀行、長野商業銀行、南安銀行、上越銀行、成資銀行、水内銀行、新村銀行、依田銀行である。

第六十三銀行は東信地方から北信地方にも勢力を拡大していった。国立銀行・転換した普通銀行として両行を概観すると、おっとりとした長男・長女格の第十九国立銀行(第十九銀行)の動向を見定めつつ、思い切りのよい次男・次女格の第六十三国立銀行(第六十三銀行)が覇権を広げていったということになるだろうか。

あまりにもシンプル、当意即妙な行名

1920年代後半から1930年代にかけて、両行に転機がやってきた。第一次大戦後の慢性的な不況と世界恐慌を受け、両行を支え、また両行に支えられてきた生糸価格が暴落し、養蚕・生糸事業が大打撃を受けた。折しも日本の金融界は第二次大戦の足音がヒタヒタと忍び寄るなか、戦費捻出のため一県一行政策を推進していた。

その動きに呼応して1931年8月、第十九銀行と第六十三銀行が合併した。背景には、当時、県下最大の金融機関であった信濃銀行(本店・現在の上田市)の経営が傾き、整理されたことがあった。

一時期とはいえ、県下の最有力行が整理され、新たに第十九銀行と第六十三銀行が合併して有力銀行をつくる。さて、行名はどうする?誰の発案かは定かではないが、「19+63=82」。ここに八十二銀行が新立した。

八十二銀行は誕生後もいくつかのM&Aを実施している。1943年に上伊那銀行、佐久銀行、信州銀行、長野貯蓄銀行、上田殖産銀行、飯田銀行を相次いで傘下に収めた。

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