日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。“ご当地銀行”の合従連衡史の9回目は、宮城県。

“ナンバーバンク”の一角をなす

全国の地銀には、通称“ナンバーバンク”と呼ばれる金融機関がある。新潟の第四銀行、長野の八十二銀行、岐阜の十六銀行、三重の百五銀行、香川の百十四銀行、長崎の十八銀行、そして宮城の七十七銀行。いずれも、明治初期に全国に設立された国立銀行にその歴史をさかのぼることができる。

明治11(1878)年、日本全国が国立銀行の設立ラッシュに沸くなか、第七十七国立銀行は仙台市で営業を開始した。国立銀行はその営業期限を20年と限定されていたため、多くの国立銀行が明治31年には普通銀行に改組した。

第七十七銀行も明治31年に国立の名称を外し、普通銀行として新たにスタートした。その5年後に本店を仙台市内の「芭蕉の辻」に移す。日銀仙台支店が置かれた辻の一角である。

一方、明治中期には、宮城県内にも地域の金融機関が育っていった。明治26年に宮城貯蓄銀行が創立。貯蓄銀行とは、現在の価値で1口10万円程度以下の小口預金を引き受けた、いわば市民の貯蓄のための銀行。宮城貯蓄銀行は大正10年にはより大口の預金や融資を扱える普通銀行に転換し、五城銀行と改称した。明治43年には東北実業銀行が創立した。

第七十七銀行は昭和2年に仙台興業銀行と宮城商業銀行と合併し、翌昭和3年に浪江銀行を買収した。昭和7年には東北実業銀行と五城銀行との合併を果たした。それが現在の七十七銀行である。