日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。“ご当地銀行”の合従連衡史の25回目は、「ちばぎん」の愛称で知られる千葉銀行<8331>、千葉県である。

地元の商業銀行を集約して成長

千葉銀行の源流は他のいわゆる老舗地銀と同様に、1878年に設立された第九十八国立銀行である。国立銀行の営業年限である20年を経た1897年に第九十八銀行となった。その後、第九十八銀行は明治・大正期にかけて周辺の金融機関のM&Aを重ねた。その状況は下表のとおり。特徴的なのは商業銀行、いわゆる個人顧客対象というより法人対象の金融機関を集約していったことだろう。

津田沼商業銀行1907年営業譲受
六軒商業銀行1907年営業譲受
一宮商業銀行1917年合併
長南商業銀行1918年合併
花房銀行1919年合併
1944年、千葉銀行は野田商誘銀行をM&Aした

そして第九十八銀行は1943年、千葉銀行となった。第九十八国立銀行を軸に、千葉合同銀行と小見川農商銀行の3行による新立合併である。同行の沿革には、創立時の資本金は1000万円、行員725名、店舗数70、預金2億4702万円、貸出金5159万円とある。千葉銀行は創立時からかなり大規模な地方銀行であったことがわかる。

千葉銀行は創立の翌年である1944年に2つのM&Aを実現した。千葉貯蓄銀行の合併と野田商誘銀行の買収である。千葉貯蓄銀行は1920年に創立した銀行で、千葉県内において1922年に千葉合同貯蓄銀行を合併し、1930年に山武銀行を買収した経緯がある。

片や野田商誘銀行は1900年から続く野田市の醤油醸造家らがつくった有力私立銀行であった。その設立の経緯と経営については、「【野田醸造建築群】醸造家が育て支えた伝統と財|産業遺産のM&A」にも紹介されている。

第2次大戦の戦前から戦中にかけて、国によって進められた一県一行主義。千葉県においては野田の豪商の力などを結集して千葉銀行が重要な役割を果たし、また勢力を拡大していった。