日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。“ご当地銀行”の合従連衡史の14回目は、佐賀県。

佐賀県のトップ地銀は佐賀銀行<8395>である。その創立は1955年にさかのぼる。創立年からすると比較的新しい銀行であり、創立以後、大きなM&Aもなく、独立独歩の事業展開を進めてきたかに見える。ただ、1955年の創立は佐賀興業銀行と佐賀中央銀行の合併によって誕生したもので、この両行の歴史をたどると、佐賀銀行の矢継ぎ早のM&Aを垣間見ることができる。

佐賀銀行では同行の始まりを「淵源」と表現し(同行ウェブページ「当行のあゆみ」より)、それは佐賀興業銀行の前身で1882年に創立した伊万里銀行にさかのぼることができる。

陶業金融を支えた資本家たち

では、その伊万里銀行とはどのような銀行だったのか。『炎の里有田の歴史物語』(松本源次著)という本を参考に、その歴史をたどってみよう。

佐賀県、特に伊万里・有田において銀行の必要性は、伊万里焼・有田焼で有名な陶業を貿易も含めた事業として支えること、すなわち陶業金融にあった。当時から今日にいたるまで伊万里焼を支えている深川家(当時は九州で最初の法人を設立した8代深川栄左衛門)と初代伊万里町長の石丸源左衛門、豪商として知られた松尾貞吉、また、藩主・鍋島家や唐津出身で第8代・17代の内閣総理大臣を務めた大隈重信らがその必要性に賛同し、大株主となって設立されたのが1882年に創立した伊万里銀行である。

明治中期、佐賀には第百六銀行と第九十七銀行という2つの国立銀行があった。その資本金は第百六銀行が30万円、第九十七銀行が5万円であった。ところが伊万里銀行は、それらの国立銀行を凌駕して32万円の資本金でスタートした。佐賀県の他の私立銀行の資本金は概ね3万〜10万円での創業であったことと比べると、伊万里銀行の勢力は創業当初から圧倒的だったといってよい。