日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。

“ご当地銀行”の合従連衡史の26回目は、中国銀行<8382>。東京・大阪などいくつかの主要支店で「本店岡山市」と看板にも明記し、「当行はBNK OF CHINAではありません」とわざわざ謳っている、岡山県の中国銀行である。

岡山市の国立銀行を凌駕した私立銀行のパワー

中国銀行の源流は1878年12月に設立された第八十六国立銀行であり、1919年9月に設立された第一合同銀行と1924年7月に設立された山陽銀行が1930年12月に合併して中國銀行を創立し、1990年10月に商号を中国銀行とした……と書くと、まさにそのとおりだが、日本語としてちょっとオカシイ。「最初の第八十六国立銀行はどうなったの?」と思うはずだ。実は第八十六国立銀行は創立20年後の1898年に八十六銀行となり、その約20年後の1920年、第一合同銀行に合併されたのである。

中国銀行の発祥の地は、岡山市ではなく備中松山城で有名な岡山県高梁。この山あいの城下町に第八十六国立銀行が誕生し、本店跡地には「発祥の地」を示す立派な石碑が建てられている。

実は岡山には、もう1つ国立銀行があった。岡山市に本店を構えた第二十二国立銀行である。ナンバーから見て第八十六国立銀行より国の認可が早くに下り、業容、規模としても第八十六国立銀行より大きかったようだ。国立銀行の営業年限が切れる20年後には地元の声にも押され二十二銀行となるが、1897年には現在の中国銀行とは無関係の中国銀行を合併している。

二十二銀行は地域に支えられ、国内でも屈指の銀行に成長していた。だが、1894年の日清戦争後の恐慌で経営が悪化した。その後、安田銀行の前身ともいえる保善銀行となり、安田銀行、富士銀行を経て、現在のみずほ銀行へとつながっていく。

このように地元金融界でより早く国立の名乗りを上げた第二十二国立銀行より、強い力が第八十六国立銀行には渦巻いていた。それは、地元経済界の強力なバックアップをテコにして伸びてきた私立銀行であった。