【百十四銀行】国立銀行と伝統産業が礎に|ご当地銀行のM&A

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東京・日本橋にある百十四銀行東京支店

香川県を代表する金融機関である百十四銀行。その源流は行名から想像されるとおり、第百十四国立銀行である。設立は1878年。明治維新後、国立銀行条例が制定されたのが1872年で、以後1879年までに全国で153の国立銀行が設立された。

貯蓄業務が他の金融機関と統合

国立銀行は設立を出願し、許可された順に番号を付与され、その番号を銀行名として名乗った。最後に出願許可されたのが京都に本店を置いた第百五十三国立銀行。第百十四国立銀行はいわゆるナンバーバンクとしては出願許可されたのが遅い部類に入る。

だが設立の20年後、1898年に営業満期国立銀行処分法により、高松百十四銀行となった。高松百十四銀行は高松貯蓄銀行、大川銀行、宇多津銀行、高松商業銀行、東讃銀行を傘下に収め、1921年に讃岐貯蓄銀行となった。

讃岐貯蓄銀行の系譜を見ておこう。讃岐貯蓄銀行は1921年に高松百十四銀行の貯蓄業務を分離し、他に8行を統合して新立した銀行である。前身は高松百十四銀行のほか、大内銀行、琴平銀行、坂出銀行、坂出同盟銀行、高松銀行、多度津銀行、東讃銀行、丸亀銀行の8行。そして、讃岐貯蓄銀行は1943年に高松百十四銀行に買収された。いったんは分離され、やがて再びもとの銀行に収まったということだろう。

金融を支えた讃岐三白

1924年に高松銀行と新立合併して誕生した高松百十四銀行は、下記のM&Aを重ね1948年に百十四銀行となった。

買収年 買収対象
1928年 小豆島銀行
1934年 同盟銀行
1936年 松山銀行
1941年 多度津銀行
1943年 讃岐貯蓄銀行

ここでは、新立合併して誕生した高松百十四銀行の合併相手である高松銀行について振り返りたい。高松銀行の前身は1885年に設立された讃岐糖業大会社という会社組織である(1884年設立という説もある)。高松銀行は1896年に讃岐糖業大会社が銀行業務を正式に営むため改称した銀行であった。砂糖産業が銀行経営? と思うと不思議だが、それだけ香川県(讃岐国)で糖業が重要産業であったことがわかる。

実は香川県にとって糖業は、「砂糖・塩・綿」を「讃岐三白」と称するほどの特産品の一つだった(なお讃岐三白には諸説あり、綿の代わりに米とする説もある。『明治中期香川県における「讃岐三白」誕生の背景』参照)。

その産業化に大きな貢献を果たしたのが、向山周慶(さきやま・しゅうけい)という人物である。向山周慶は1746年に讃岐国の湊村(現在の香川県東かがわ市湊)に生まれ、讃岐糖業の始祖として白砂糖づくりを確立し、「讃岐糖業の父」と称されている。

讃岐の和三盆として名声を高める

白砂糖の精製に成功したのは1790年頃のこと。1803年には白砂糖の製法を確立したとされ、白砂糖はやがて大坂で「讃岐の和三盆」として名声を高めた。

「和三盆」も金融も育んだ讃岐の糖業

和三盆というと、上品な京都の和菓子のように思われているが、実は香川県の特産品から生まれた。香川・讃岐というとまず「うどん」を連想し、白色をしたうどん・小麦が讃岐三白に含まれると考えがちだが、そうではない。

讃岐地方では古くから小麦、塩、醤油、いりこと呼ばれる煮干しなどが特産品としてあった。そこに砂糖や綿、米などが加わり、讃岐三白と称されるようにもなったわけだ。

「讃岐うどん」は小麦、塩、醤油、いりこなど、うどんの材料の入手が容易であったことから生まれたようだが、地域ブランドとして広く知られるようになったのは、香川県がうどんを名物とし始めた1960年代頃のことだ。

香川県にとって代名詞ともいえる「うどん」のほかにも特産品がいくつもあり、そのうちの一つ、砂糖(糖業)は金融にも進出する一大産業であったことは記憶にとどめておきたい。