日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。“ご当地銀行”の合従連衡史の24回目は、広島県である。

県内に有力な2つの国立銀行

1878年から1898年の20年間、日本には全国で153を超える国立銀行が金融業務を行っていた。設立直後に合併したり閉鎖になったりした銀行もあり正確には計算できないが、153の国立銀行数を現在の47都道府県で割ると、平均して1県に約3行となる。この時期、まさに全国が国立銀行の設立ラッシュの状況にあったことがわかる。

このうち広島県には2つの国立銀行があった。1つは1878年、尾道市に創立した第六十六国立銀行である。第六十六国立銀行は国立銀行の営業期限である20年が過ぎる1897年に国立の冠が取れ、第六十六銀行に改称した。そして、1920年に芸備銀行となった(以下、正式には藝備銀行)。

もう1つは1879年、広島市に創立した第百四十六国立銀行。明治期のナンバーバンクとしては最後発組の1つである。第百四十六国立銀行は1897年に広島銀行(現在の広島銀行とは異なる)と改称。以後、豊田銀行(1916年)、村上銀行(1916年)、賀茂銀行(1918年)、芸陽銀行(1918年)を次々に傘下に収め、1920年に芸備銀行となった(上記カッコ内は合併・買収などがあった年)。

この芸備銀行の本店は広島市にあり、第六十六銀行をはじめ、角倉銀行、比婆銀行、1897年から存立していた広島銀行、広島商業銀行、双三貯蓄銀行、三次貯蓄銀行が大合同を果たすことによって誕生した。2つの国立銀行のM&Aによって7つの有力地域金融機関が合同して生まれたが、実態としてはより数字の若いナンバーバンク、創業が1年早い第六十六国立銀行の主導によって本店を尾道から広島に本店をシフトし、芸備銀行に集約されていったようだ。

瀬戸内を渡り、愛媛県へ

芸備銀行は広島県内はもちろん、瀬戸内海を越え、愛媛県まで版図を拡大していった。1920年、新立合併による芸備銀行の誕生以後、大正期の後半から昭和初期にかけて、下表のような銀行のM&Aを重ねた。

 1920年、新立合併による芸備銀行の主なM&A

中国商業銀行1925年合併
尾道諸品株式会社1925年買収
仁方銀行1926年買収
多川銀行1926年買収
広第一銀行1927年買収
呉第一銀行1926年買収
伊予三島銀行1928年合併
愛媛銀行1928年合併
西条銀行1928年合併
可部銀行1928年買収
備後銀行1934年買収

このようなM&Aを経て芸備銀行は1945年5月、呉銀行、備南銀行、広島合同貯蓄銀行、三次銀行などとともに、再び大合同を進めた。冒頭トップ画像の尾道銀行は、このうち備南銀行にM&Aされた銀行である。

1945年というと、第2次大戦の戦局が厳しさを増す時期である。国も一県一行主義を強力に推進していたはずで、その波に揉まれての誕生ということになる。その3カ月後、広島が世界史上、最も凄惨な戦禍に見舞われることになろうとは、誰一人として想像していなかったのではないか。