日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。「“ご当地銀行”の合従連衡史」の4回目は、今年、明治維新150周年に熱く燃える鹿児島県。「維新のふるさと」とも呼ばれる鹿児島では、この9月も錦江湾潮風フェスタなどのイベントが目白押しだ。

その鹿児島の金融界の支柱的な存在が鹿児島銀行<8390>である。その歴史をたどるとき、何よりもまず2015年、隣県・熊本の肥後銀行<8394>と共同株式移転方式(持株会社の設立)により合併して誕生した九州フィナンシャルグループ<7180>(以下、九州FG)に触れておきたい。

九州FGは痛み分けの産物?

九州FGの誕生当時、地方金融界では大きな反響を呼んだ。何より、薩摩隼人と肥後もっこす、独立独歩のイメージが強い薩摩と肥後のトップ行が手を組み、小異を捨てて大同に就いたからである。

九州FGの設立前、九州の地方銀行には福岡県博多のふくおかフィナンシャルグループ<8354>(福岡銀行、熊本銀行など)と西日本フィナンシャルホールディングス<8327>(西日本シティ銀行、長崎銀行など)があった。その2大グループに割って入ったのが九州FGであった。

九州FGの誕生により、地銀業界の勢力図は大きく変わった。九州FGは設立当時、地盤は南九州に偏っているものの、総資産で西日本フィナンシャルホールディングスを抜き、地銀業界9位と地銀大手の地位を固めたのである。

2015年2月、その統合新社名の記者発表の席でのこと、新設される持株会社が本社機能を熊本市に、登記上の本店所在地を鹿児島市とすることについて、鹿児島銀行頭取が「監督官庁の九州財務局が熊本市にあり、利便性が高いことから本社機能は熊本市とする。登記上の本店所在地を鹿児島市とするのは痛み分けの結果だ」と語った。

当時、この「痛み分け」という表現はいろいろな憶測を呼んだ。本来の「痛み分け」には、「相撲の取り組みで、一方が負傷したために引き分けとすること」「紛争で互いに損害を受けたまま引き分けること」といった意味合いがある。そのため、「何か痛み分けとならざるを得ない状況でもあるのか」「この合併には痛み分けとなるような損害があったのだろうか」「ひょっとしたら熊本の地銀の勢力がふくおかFG(熊本銀行)と九州FG(肥後銀行)に二分されることに不都合でもあったのではないか」「博多ではなく熊本にある九州財務局の影響が本当に大きかったのだろう」などという話も聞かれた。

なお、現在の九州FGの拠点は、本店が鹿児島市で、本社が熊本市、加えて本部が熊本市となっていて、いかにも“和して同ぜず”感がある。さまざまな事情はあるだろうが、それが「シンプル、わかりやすさ、なじみやすさ」を追求した地域金融再編の姿であれば、その完成は道半ばということができなくもない。