不適切な表現になるかもしれないが、横浜は“震災の聖地”とでも呼ぶべき一面を持っている。

1923年、大正期の横浜は関東大震災に見舞われた。明治期からの外国貿易で栄えた港、外国人居留地などにあった西洋建造物も多くが倒壊し、焼失した。建造物はもちろんのこと、企業組織や社会機構・システム、仕組みといったものも瓦解してしまった。

それだけに、震災前の街の様子を映し出す写真や映像を大事にし、後世に残す思いが強いのかもしれない。「横浜銀行の歴史」のウェブページ、そのなかの横浜銀行歴史資料館のページを飾るこれまでの本店・支店・出張所などの写真を見ると、その思いをより強く感じる。

1941年、一県一行主義にあと押しされてM&Aを推進

横浜銀行の前身は1920年に設立された横浜興信銀行であり、ちょうど今年で100周年を迎える。そこでまず、1920年以降、横浜興信銀行が行ってきたM&Aを振り返っておこう(下表)。

〇横浜興信銀行が行ったM&A(1927年~1945年)

銀行名スキーム
1927年左右田銀行買収
1928年第二銀行買収
横浜貿易銀行買収
元町銀行買収
1932年関東興信銀行合併
1941年足柄農商銀行買収
鎌倉銀行買収
相模銀行買収
秦野銀行買収
平塚江陽銀行買収
明和銀行買収
1945年都南貯蓄銀行買収

1941年は日本が太平洋戦争に突入した年で、その年に横浜興信銀行のM&Aは集中している。では1941年、横浜の金融界ではどんなことがあったのか。一言で語ると、当時、国が戦費調達のために打ち出した一県一行主義が、横浜では普通銀行において強化されたのである。