不適切な表現になるかもしれないが、横浜は“震災の聖地”とでも呼ぶべき一面を持っている。
1923年、大正期の横浜は関東大震災に見舞われた。明治期からの外国貿易で栄えた港、外国人居留地などにあった西洋建造物も多くが倒壊し、焼失した。建造物はもちろんのこと、企業組織や社会機構・システム、仕組みといったものも瓦解してしまった。
それだけに、震災前の街の様子を映し出す写真や映像を大事にし、後世に残す思いが強いのかもしれない...
「いよぎん」の名で親しまれる伊予銀行。そのルーツは第二十九国立銀行と第五十二国立銀行にあるが、さらにさかのぼると、明治初期に県南西部に設立された銀行類似会社にたどりつく。いよぎんは、その銀行類似会社から、どんなM&Aを経て誕生したのか。
「山陰合同」という名称より「ごうぎん」の名で親しまれている山陰合同銀行。その名称は、1889年に設立された松江銀行と1894年に設立された米子銀行の合併による。その山陰合同銀行が新しい合同に舵を切った。地銀のモデルケースとなり得るか。
2020年10月に合併が予定されている十八銀行(長崎市)と親和銀行(佐世保市)。しのぎを削ってきた地域有力地銀は、ふくおかFG、西日本FG、九州FGという九州地区の地銀再編のなかで、両雄並び立たずなのか。
ご当地銀行の合従連衡史の4回目は、鹿児島。地元金融界の支柱的な存在である鹿児島銀行は2015年、熊本の肥後銀行と共同株式移転方式(持株会社の設立)により合併し、九州フィナンシャルグループ(九州FG)の子会社となった。