【福井銀行】地場産業を支え続けて120年|ご当地銀行の合従連衡史

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本店の新規オープン前に仮本店を置いていた福銀センタービル

北陸・福井県の“ご当地銀行”は県内唯一の地銀となる福井銀行である。本店を置く同じ福井市内にはもう1つ、第二地銀の福邦銀行がある。福邦銀行は5月をめどに福井銀行との資本提携を目指している。今年1月に両行は「Fプロジェクト」と名づけた推進委員会を設置し、具体的な作業を進めている。福井銀行が福邦銀行の子会社化に踏み切る可能性も取りざたされる。苦境にある地銀の経営統合の新しいカタチを示す事例となるか、注目が集まっている。

地場繊維業者が資金を出しあってつくった銀行

福井銀行の創立は明治1899年12月、開業は翌1900年1月だった。福井県の伝統産業の1つが繊維産業。福井銀行はその有力繊維業者が資金を出しあって設立したとされる。有力な老舗地銀の源流をたどると、明治初期に全国に設立された国立銀行に端を発する例が多い。だが、福井銀行はそれらとは異なる、“ちょっと変わった経歴”を持っているといえる。

その福井銀行は下表のように地道に県内においてM&Aを重ね、営業網を拡大してきた。

金融機関名 内容
大手銀行 1910年 買収
越前商業銀行 1912年 合併
三国商業銀行 1914年 買収
若狭商業銀行 1919年 合併
高浜銀行 1924年 合併
大七銀行 1924年 合併
石川銀行 1926年 合併
森田銀行 1930年 合併
洪盛銀行 1932年 買収
福井信託 1944年 合併
森田貯蓄銀行 1945年 合併
福井県第一信用組合 1996年 買収

また、1966年9月には信託業務を廃止して東洋信託銀行に信託財産を再委託、同年10月には信託業務を廃止した(1989年に信託銀行と包括業務提携し、1994年に信託代理業務を開始)。

森田一族・大和田一族、廻船業をめぐる選択

このM&Aのうち、特徴的なものをピックアップしてみたい。1930年に合併した森田銀行はもともと1894年に個人事業として設立した銀行だった。1903年末には株式会社に改組し、1927年には加賀銀行を合併し、翌1928年には勝山野村銀行を買収している。

個人経営の森田銀行は北前船の廻船業者であった森田家当主の森田三郎右衛門によって設立された。福井県の伝統産業は繊維産業と述べたが、三国、敦賀など北前船の寄港地としても知られ、それら寄港地は財を成した豪商の住む港町でもあった。

1920年代後半、昭和初期に森田銀行は福井銀行には及ばないものの、森田銀行と同様に廻船業者が設立した大和田銀行と肩を並べるほどの事業規模だったとされる。その隆盛を示すかのように、現在の坂井市三国町にある旧森田銀行本店は、福井県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造建築物として知られている。

福井県坂井市三国町にある旧森田銀行本店(丸岡ジョー/写真ac)

ちなみに、廻船業者による金融として森田銀行と双璧ともいえる大和田銀行は敦賀の豪商として知られた2代目大和田荘七によって1892年に設立された銀行で、現在、その旧本店建物は敦賀市立博物館として活用されている。

大和田銀行の一部は県内で勢力を拡大する福井銀行に営業譲渡されたが、大阪市内にあった支店は袂を分かち、その後、大和田銀行は三和銀行に吸収合併された。そして、大阪市内にあった支店は最近まで三菱UFJ銀行の店舗として営業していた。三和・UFJ・大和田と聞けば、ドラマ「半沢直樹」に登場した常務を連想するが、その大和田の名前が敦賀の豪商、敦賀港発展の父ともいわれた大和田荘七に由来するかどうかはわからない。

ただ、はっきりしているのは昭和初期、福井銀行は敦賀港発展の父といわれた大和田荘七、大和田一族が経営する大和田銀行より、越前の玄関口といわれた三国湊の豪商として名を馳せた森田三郎右衛門、森田銀行を選び、福井の繊維産業はもちろんのこと、北前船の廻船業へと勢力を拡大し、産業の発展を支えてきたことだ。京都に近い若狭・嶺南地方より越前の営業基盤を固めたいという思惑もあったに違いない。

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