日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。“ご当地銀行”の合従連衡史の6回目は、宮崎県である。

『夢に遭いにいこう』。宮崎県民なら誰でも知っているといわれた、軽快なテンポの楽曲。宮崎銀行がテレビCMなどに活用したイメージソングである。第17代の宮崎県知事であった東国原英夫氏による宣伝効果もあり、宮崎県外でも広く知れわたる楽曲となった。

このイメージソングをCMなどに活用した宮崎銀行は、宮崎県を代表する地方銀行である。その歴史をさかのぼると、イメージソングさながらにすっきりとした沿革だ。すなわち合併や買収などはほとんどなく、南国・宮崎の県民に愛されて創業し、地歩を固めてきたことが見てとれる。

県の主導で誕生した民間銀行

宮崎銀行は昭和7年7月、日向興業銀行として資本金200万円で創立、翌8月に開業している。地方銀行の多くは、明治初期に全国に設立された国立銀行の改組に由来するもの、すなわち官のお墨付きをもとに設立されたものが多い。ところが、そのなかにあって宮崎銀行は県の主導で誕生した県民銀行であった。

当時、宮崎県は他府県と同様に昭和初期の金融恐慌に端を発した不況に見舞われていた。海外を見渡しても、昭和4(1929)年に世界恐慌が起こり、その波が日本、さらに日本の地方部にも昭和の農業恐慌として押し寄せていた。その時代の宮崎には、日向中央銀行、旧宮崎銀行といった金融機関があった。だが、相次ぐ恐慌の荒波を受け、経営が破綻。その救済策として、県が出資するかたちで生まれたのが日向興業銀行である。

地域の要、県民の金融の支柱である日向興業銀行は、その後増資を重ね、昭和37年8月に行名を宮崎銀行に改称した。創業30年を迎えてのことだった。