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【山形県】問われるのは「同族経営の底力」|ご当地銀行の合従連衡史

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月山の麓に広がる山形市街(やまがたの広報写真ライブラリーより)

日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。“ご当地銀行”の合従連衡史の11回目は、山形県。

1878年から1898年まで存立した第八十一国立銀行。山形県を代表する地域金融機関である山形銀行<8344>は、その第八十一国立銀行が源流である。第八十一国立銀行は、1896年に設立された両羽銀行に1897年に業務が継承され、翌年に解散した。そして、両羽銀行は1965年に山形銀行と改称した。

両羽銀行時代のM&Aラッシュ

この明治後期から昭和の中期までの両羽銀行時代は、同行にとってM&Aラッシュの時代だった。その主なものを挙げると、下表のようになる。まさに銀行名のように、県下に金融の“両翼”を広げて羽の届く範囲の銀行をことごとく傘下に収めていった。

○両羽銀行時代のM&A

1916年 合併 米沢義社
1919年 合併 羽陽貯蓄銀行
1926年 合併 由利銀行
1935年 買収 楯岡銀行
1940年 買収 東銀行、天童銀行、羽前銀行
1941年 買収 羽陽銀行、東根銀行、三浦銀行、村山銀行
1943年 合併 山形商業銀行
1944年 合併 山形貯蓄銀行、高野銀行
1948年 買収 羽前長崎銀行

(山形銀行ホームページをもとに作成)

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