日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。

「“ご当地銀行”の合従連衡史」の3回目は、夏、「ねぶた(青森)」と「ねぷた(弘前)」という2つの祭りに燃え、彩られた青森。

青森にはみちのく銀行<8350>と青森銀行<8342>の2つの有力地銀がある。ともに、母体となる銀行の創業は明治期にさかのぼる。そしていま、青森銀行は資本金195億円で、みちのく銀行は資本金370億円と差があるものの、従業員はいずれも1,300名強であり、国内の本支店数もともに100店舗ほどと、まさに青森のライバル地銀、地域金融として双璧をなす。

営業展開・戦略としては土俵を分かつ!?

まず、みちのく銀行を見ていこう。みちのく銀行は昭和51年に、地方銀行(青和銀行)と相互銀行(弘前相互銀行)が合併して誕生した銀行である。いまは違和感がないものの、合併当時は日本で初めての“ひらがな銀行”であり、「お堅い商売が、そんな柔らかい行名で大丈夫?」などといわれたこともあったようだ。

特筆すべきはその合併のスタイルである。当時、弘前相互銀行は相互銀行の業界でも中堅上位行とされていた。そして、地方銀行としては下位に甘んじていた青和銀行を、救済に近いかたちで合併したとされる。ところが、存続銀行は弘前相互銀行ではなく、青和銀行であった。

みちのく銀行は本社を青森市に置くものの、相互銀行時代の地盤であった弘前から成長していった。そして、それぞれの県で地元地銀の強い地盤のあった東北の各県、北海道拓殖銀行破綻以後の北海道の函館、さらに海外にも営業展開を図った。青森銀行が県内の地場企業・地方公共団体との取引を強め、シェアを固めていくなかで、両行の営業展開は対照的に見えただろう。