「僕が唯一無二の存在だ」と口にする智仁氏

久実氏の死後、窪田氏と智仁氏の関係は悪化します。

平成27年8月に窪田氏と智仁氏は都内の焼き鳥店で食事をしました。そこで智仁氏が「僕が正当な事業の継承者だ」などと思いのたけを口にします。

対する窪田氏は「もっと経験を積んで地べたを這ってやらないと誰もついてこないし、そんな簡単な会社じゃない」とたしなめます。会話はヒートアップ。「(智仁氏は)もう会社には来なくていい」との発言に至りました。それが決定的となり、二人の関係は急速に冷え込みます。そのおよそ一か月後に三枝子夫人が遺骨と位牌を持って会社にやってくるのです。

そんな折、功労金を巡る大問題が巻き起こります。それが智仁氏の逆鱗に触れるのです。

功労金は生前に支払うことができませんでしたが、役員は創業家に8億円程度を準備するつもりでした。しかし、それに待ったがかかるのです。大戸屋は「祇園ミクニ」や上海事業、植物工場などの負の遺産を抱えていました。まずはそれらを整理するための資金に充てた方が良いのではないか。そんな意見が出たのです。結局、功労金の支払いは先延ばしになりました。決まりかけていたことを知っていた智仁氏は激怒しました。

追い打ちをかけるように、窪田氏は智仁氏に対して、海外事業本部長の任を解いて香港事業運営部長に任命します。事実上の降格です。「僕が唯一無二の存在だ」と言い放つ智仁氏の未熟さを考慮し、経験を積ませるための決断でした。

社会の厳しさを知り、客観的かつドライに対応する窪田氏。久実氏と三枝子夫人に可愛がられ、期待されて大志を抱く智仁氏。跡継ぎ問題は、価値観や視座が異なることで巻き起こった出来事でした。これは、カリスマ性を持った創業者が急逝した際によくみられる事象の一つです。

結局、会社に居場所を失くした智仁氏は、平成28年に大戸屋ホールディングスの役員を辞任。スリーフォレストという高齢者向けの宅配事業の会社を立ち上げました。

平成29年6月の株主総会では、功労金2億円の支給が決まるのです。

スリーフォレスト
創業者が作り上げた”食”の引力圏で事業を立ち上げた三森智仁氏


そして今回、持ち株すべてをコロワイドに譲渡して、智仁氏と三枝子夫人の株主としての影響力もなくなりました。

一連の後継者を巡る騒動は、こうして終焉を迎えたのです。

この記事は第三者委員会による調査報告書をもとにしています

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