牛丼といえば、吉野家のブランドが圧倒的だ。1950年代に創業した吉野家は、仕入れ力を活かして牛丼の品質を高め、「うまい、やすい、はやい」をコンセプトに日本の外食シーンを牽引した。

吉野家から少しブランド力は落ちるものの、牛丼御三家として名高いのが「松屋」と「すき家」である。今回は、「吉野家ではない」という選択肢として、この2社がどう戦い、どういう特徴で吉野家以外のニーズを吸い上げ、健闘しているのかみていこう。

松屋はキャッシュレス時代を取り込み

現在の松屋はキャッシュレスに力を入れている。話題となったPayPayの決済をはじめとし、Origami Payやメルペイ、さらにはウィーチャットペイやアリペイまで一台の券売機で対応した。「やたら当たるくじ」では、5回に1回、「タダ飯」になるとし、若者への訴求を行った。これはあたりが「映える」という側面があり、利用者が当たりくじをソーシャルネットワークでシェアし広告の役目を果たした。

松屋
松屋 三鷹店

このPayPayのキャンペーンは、若年層の取り込みと、Yahoo!の集客力を狙ってのものだと考えられる。これまで数多くの施策が取られてきたが、5回に1回の確率でタダ飯というのはインパクトがあり、当たったらまた通いたくなるだろう。明確に若者や独身者をターゲットにしているのが松屋である。

松屋は、神奈川県にある町の中華料理屋として創業し、人々に愛された。時代は1960年代、ちょうどファミリーレストランが誕生する直前のころ。ファミレスは1960年代から70年代にかけて日本国内へと一気に広まり、その起源はデパートの屋上レストランである。

それまで、日本に外食文化は存在しながらも、牛肉は一般的ではなかった。しかし戦後、牛肉が身近になり、ファストフードやファミリーレストランが誕生し、一気に身近となる。その後、経済成長とともに全国にチェーンを展開した。

そして日本はバブルが弾け、一気にデフレに突入する。値段を極限まで下げ、牛丼は200円台に突入した。牛丼がいまもデフレの象徴とされるのはこの頃のイメージが根強いのではないだろうか。

すき家はロードサイド&ファミリー層

一方で、「飢餓と貧困をなくす」という強い理念で創業したのがすき家である。貧困に怒り、東京大学で学生運動に明け暮れつつも、革命の理想に敗れて港湾労働に身を窶し、破綻前の吉野家に入社してそれでも夢をもって起業したのがすき家の小川社長である。

社長みずからロードサイドで人の流れをカウントし出店攻勢をかけ、全戦全勝を決意してゼンショー。さらには、軍隊式の洗脳術と合理性を追求して、オペレーションを徹底化することで生産性を極限まで高めるのが狙いである。

しかし、すき家にも苦難は訪れる。それが、深夜のレジを襲撃する強盗団の誕生と、ワンオペによる過酷な深夜勤務が世間からの非難の対象となったのだ。現在、ワンオペは解消され、時給も上昇して労働環境は改善している。

すき家
すき家 三鷹店

すき家は、ファミリーを狙い撃ちにしている。椅子とテーブルを設けて、家族で楽しく団らんするCMを流し、子供向けのメニューを展開し、同時に健康意識の高い人達にはサラダ牛丼なども提供している。

バラエティに富んだチーズ牛丼やキムチ牛丼に加えて、しょっちゅう新作を開発することで、大人にも飽きさせない工夫を凝らしているものと考えられる。主にファミリー需要を取りにきたのがすき家である。

牛丼屋の売上を上げるには

最後に、売上の話である。ブランド力を背景に御三家とも売上は好調だが、なにせ人手不足である。時給をどんどん上げていかないと、ただでさえオペレーションのきつい牛丼屋のアルバイトは集まらない。

そこで、ひとつのヒントとして、吉野家の豊洲市場店がモデルになってくるだろう。

吉野家
画像は「吉野家 三鷹店」

同店舗では、牛丼とサラシア牛丼とサイドメニューに限定してある。その結果、売上が好調で、時給が1500円まで上昇している*のだ。(*ITmedia ビジネスONLINE

牛丼屋に限らず、外食はどこもファミレス化し、無限にメニューを増やすことで客の意識が発散してしまい、売上が収斂するというパターンを描く。しかし、売上の99%が牛丼である吉野家豊洲市場店から学ぶことは多い。

いま考えられるのは、「肉が食べたい」という消費者のインサイト(本音)を真芯でとらえ、メニューを厳選して提供する牛丼の品質を高めることではないだろうか。

文:名もなきライター(S.Watanabe)