「新津油田」新潟に花開いた石油王の足跡|産業遺産のM&A

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新潟市秋葉区新津にある中野邸(中野記念館)そばの新津油田金津鉱場跡の油井。一帯は国指定史跡に

塩谷事件を経て、石油業界のスターダムにのし上がる

新津油田の採掘で財を成し、“石油王”と呼ばれたのが中野貫一である。貫一は江戸後期の1846年、金津の大地主であった中野家に生まれた。新潟(越の国)の石油(燃土・燃水)の採収そのものは日本書紀によると668年からあったとされ、1800年代初頭には中野家に金津周辺の石油採掘権が独占的にあったとされている。

貫一が14歳のときに、父次郞左衛門が他界する。家督を継いだ金津の若き“御曹司”は、勇躍、新たな石油坑の採掘に勤しんだ。

最初の試掘から29年目の1903年のことだった。初めて金津に商業規模の油田を掘り当て、金津鉱場開発のきっかけを開いた。やがて貫一は石油採掘事業に成功し、巨富を得ることになる。だが、事業は順風満帆だったわけではなかった。石油採掘に着手してから28年の歳月はまさに失敗の連続で、親族・友人からも、「そんな冒険のような事業から、すぐ手を引け」といわれ続けたようだ。

また、1886年に採掘を金津近郊の塩谷に拡大すると、大事件に巻き込まれている。日本で初めて鉱業に関する法律として制定された日本坑法に違反したと糾弾され、鉱区権を剥奪されてしまったのである。

鉱区権の再開を嘆願しても認められず、貫一は1891年には行政裁判に持ち込み、勝訴した。貫一の一念が岩を砕いた。これが、新潟油田史に語り継がれる塩谷事件である。

塩谷事件直後の1893年、石油業界ではいわゆる重油燃焼法が発明され、重油の利用が拡大した。当時、日本一の産油量を誇るようになった新津油田では、石油のなかで最後に残る重油の利用は好都合だったようだ。1900年に貫一は網掘式掘削機を米国から購入し、石油の生産量を急速に増大していった。

M&A Online編集部

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