「新津油田」新潟に花開いた石油王の足跡|産業遺産のM&A

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新潟市秋葉区新津にある中野邸(中野記念館)そばの新津油田金津鉱場跡の油井。一帯は国指定史跡に

貫一が興した会社と組織

明治後期、石油業界も近代化がより進み、会社組織での採掘が主流になっていく。貫一は1906年には金津村の村長に就任。しかし、1909年に原油の溜池が決壊し、水田に油が流失した。その責任をとって村長を辞職した。

この金津村村長時代の1906年、まず中央石油という会社を創業し、新津の滝谷という地に製油所を設立した。そして村長を辞任した1909年には中野合資会社を組織。この中野合資会社が1914年に中野興業という株式会社に組織変更するとともに、名称変更した...

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