日本の鉱山史を一言で振り返ると、基本は「江戸期以前に各地の藩で採掘が始まり、明治期に入るとそうした鉱山は国有化され、やがて“大資本”三菱をはじめ財閥に払い下げられて、その後、採掘が終わるとともに、自治体や関連組織に観光施設として委ねられる」ということになる。

もちろん例外はあり、別子銅山といった住友財閥系もあるが、生野銀山、夕張炭鉱、日本各地の名だたる金山、銀山、銅山、炭鉱など、いわゆる鉱山の多くは皆似たような歴史をたどってきた。

金山、銀山、みな同じ!?

「佐渡の金山」も、例外ではない。約400年前の江戸初期から金や銀の採掘が始まり、日本最大の金銀山鉱として繁栄する。そして明治期に国有化、より正確にいうと、宮内庁の管轄下に置かれ、やがて宮内省御料局より当時の三菱合資会社へ払い下げられた。

鉱山経営において、どの組織が管轄したのかにスポットを当てると、佐渡鉱山は明治期に入り、1869年には工部省、1885年には農商務省、1886年には大蔵省、1889年には御料局と管轄が変わった。国として最も金や銀が必要だった役所をたらい回しにされたというと、言い過ぎかもしれない。佐渡鉱山は、これら官営鉱山の時代を経て、三菱の手に託されたのは1896年のことであった。

1918年、三菱合資会社の炭鉱・鉱山部門が三菱鉱業として独立した。その三菱鉱業は、第2次大戦後間もない1950年に金属部門が分離され、太平鉱業と名を変えた。現在の三菱マテリアル<5711>である。