産業遺産といっても、それほど古い話ではない。1970年代まで現役で電車が走っていた鉄道の話である。

岩手県花巻市の市街と西郊の万寿山の山麓にある花巻温泉、また花巻から西に豊沢川沿いにある秘湯・鉛温泉。この2つの温泉地に延びる2路線を擁していた花巻電鉄。特に花巻の奥座敷、花巻温泉郷は近郊の台温泉から湯を引き、「花巻温泉郷を一大リゾート地に!」と目論む金田一国士という岩手経済界のドンといわれた人物によって周辺の開発が進んだ。と同時に、花巻電鉄も多くの行楽客を運んだ。

盛岡電気工業の躍進

花巻の奥座敷として知られる花巻温泉郷の入口

花巻電鉄は1913年に花巻電気軌道として設立された。当初は花巻市街と花巻温泉の南西の郊外に位置する大沢温泉を結ぶ軌道であり、大沢温泉より西は馬が車両を曳く馬車鉄道であった。

花巻電気軌道は、大沢温泉から西へ西鉛温泉まで馬車鉄道として延伸する。一方、花巻から花巻温泉へは当時、台鉄道という鉄道会社が軌道を所有していた。その台鉄道が1921年、盛岡電気工業に譲渡される。

盛岡電気工業とはかつて岩手県を営業エリアとしていた電力会社で、金田一国士はその代表を勤めていた。盛岡電気工業の鉄道事業を担う盛岡電気軌道は1921年に花巻電気軌道を合併し、翌1922年、温泉軌道事業を吸収する。そして、1925年には花巻・花巻温泉間を開業して電車の運転を開始し、同時期に大沢温泉・西鉛温泉間でも電車の運転を開始した。金田一国士率いる盛岡電子工業は、花巻など周辺地域の電力・軌道会社などに対して次々にM&Aを行い、版図を拡大していったことがわかる。

「東北の宝塚」をめざす!

湯治場の趣がいまも漂う台温泉

花巻温泉郷が一大リゾート地への躍進を期したのは1920年代半ばのことだ。大正から昭和に時代が移り変わる時期、盛岡電気鉄道が花巻温泉電気鉄道という会社を新設し、保有する路線を花巻温泉電気鉄道に譲渡したときからである。花巻から花巻温泉郷への路線を別会社にして、花巻温泉と鉄道に関わる経営資源の集中投下を始めた。

同時期、関西で私鉄ターミナルを軸として周辺のリゾート開発をする人物がいた。日本の私鉄の雄・阪急電鉄の小林一三である。小林は1924年に宝塚大劇場を竣工し、1927年に阪急電鉄の社長に就任している。青森県三戸生まれの金田一国士と小林一三に、当時どのような親交があったかなどは定かではない。しかし、おそらくわずかに先行する小林一三の経営手法をベンチマークする面があったのではないだろうか。

花巻温泉郷のホームページを見ると、金田一国士は「宝塚に匹敵するリゾート地を花巻に建設する」という強い意思があったようだ。その意思のもと、古くから湯治場として栄えた近隣の台温泉から湯を引いて花巻温泉を開業した。1923年のことだ。

その計画は壮大なものだった。金田一国士はまず花盛館という高級旅館をつくり、続いて松雲閣、紅葉館、蓬莱館、千秋閣などを次々に開業した。こうした複数の高級旅館のほかにも、貸し別荘や公会堂、遊戯場、動物園、テニスコート、プール、ナイタースキー場などを開発・整備していく。まさに花巻温泉は、東北の宝塚、岩手の一大総合レジャーランドとして発展したのである。