会社分割手続きにおける労働者保護

会社分割とは、会社を複数の法人格に分割して、それぞれに組織や事業を引き継がせる手法です。事業の移転先には、分割した事業を新しく設立する会社に引き継がせる「新設分割」と、既存の会社が引き継ぐ「吸収分割」があります。

会社分割(新設分割)が行われると、基本的に分割会社の従業員は新設会社に承継されます。ただし従業員が不当な不利益を受けないように法律で労働者保護の手続きが定められています。

日本IBM会社分割事件とは

かつて日本IBMが不採算部門のハードディスク事業を切り離し、日立製作所へ売却する際に会社分割法制(旧商法)の規定によって新設会社へ転籍させられた労働者らが「労働者保護が不十分である」として転籍の効果を争った事件がありました(通称日本IBM会社分割事件)。

会社の一部を譲渡できるという点では事業譲渡と共通しますが、会社分割は組織法的に行われるため、権利義務が包括的に引き継がれるという特徴があります。

今回は日本IBM会社分割事件における、最高裁判所判例の内容をご紹介します。

買収の経緯と事案の概要

2002年に日立製作所が米IT大手のIBMからハードディスク事業を買収し、日立製作所は受け皿となる新会社(日立グローバルストレージテクノロジーズ)を設立しました。これは新会社の日本法人に、米国・欧州・アジアで展開するハードディスクの製造販売を一本化するためです。

日本IBM会社分割事件は、この過程で日本法人の日本IBMが不採算部門であるハードディスク事業を会社分割によって切り離そうとしたときに発生しました。

日本IBMは新会社にハードディスク製造部門(ストレージ事業部)を移設したのですが、その際に新会社へ転籍させられた労働者が不満を抱き「転籍は無効」と訴えたのです。

労働契約承継法では「雇用者は会社分割を行う際に労働者側と充分協議して、労働者の理解と協力を得るための手続を踏まねばならない」と定められています。

商法等改正法附則5条でも、「雇用者は会社分割で労働者を承継する際に労働者と協議しなければならない」と定められていて、適切な保護手続きを実施するための具体的な方法についての指針も設けられています。

日本IBMから新会社に転籍させられた労働者らは、日本IBMが会社分割を行った際に労働者との協議が不充分であったことを理由として、労働契約承継法や商法附則5条に違反して「転籍が無効」と主張しました。そして「日本IBMにおける労働者としての地位確認」と「損害賠償請求」を求めて提訴したのです。

裁判で問題となった点

本件訴訟で問題となったのは、主に以下の3点です。

1.会社分割そのものの無効事由ではなく「労働契約承継法違反」「商法附則5条違反」によって転籍を無効にできるのか
2.労働契約の承継が無効になるのはどういったケースか
3.本件の労働者らが転籍を拒否できるのか

結果的に1の転籍無効については認められ、2の労働契約の承継が無効となるケースについても判断基準が示されましたが、最終的なあてはめの3の部分で本件の労働者らには転籍拒否権が認められませんでした。 

裁判所の判断

具体的な裁判所による判断内容をみていきましょう。

横浜地裁の判断

横浜地方裁判所は労働契約承継法違反や商法5条違反によって転籍が無効になる可能性を認め「協議をまったく行わなかった場合や実質的に協議をしなかったのと同視できる場合」に転籍が無効になるという判断基準を示しました。その上で「本件では協議が行われているので転籍が無効にならない」(横浜地判平成19年5月29日)と判断しました。

東京高裁の判断

労働者たちは納得せず控訴します。東京高等裁判所では「商法附則5条にもとづく協議を全く行わなかった場合や実質的に教護をしなかったのと同視できる場合、または協議の態様、内容がこれを義務づけた趣旨を没却するもので、労働者が通常想定されるより著しく大きい不利益を受ける場合」に労働契約承継が無効になるという判断基準が示されました。

結果的に本件では「協議が行われているので転籍が無効にならない」(東京高判平成20年6月26日)と判断されました。

最高裁の判断

労働者らが納得できずに上告したところ、最高裁判所は以下のような判断基準を示しました。

「商法5条による協議が全く行われなかったときまたは協議が行われた場合であっても分割会社からの説明や協議内容が著しく不十分であるため、協議義務違反があったと評価できれば労働者は労働契約承継の効力を争うことができる」

つまり協議が全く行われなかった場合だけではなく、会社による説明や協議の内容が不十分であれば転籍が無効になるとされたのです。

ただし結論は「本件の新会社は労働者らに充分な説明や協議を行った」として転籍無効の主張を棄却しました(最二小判平成22年7月12日)。

日本IBM会社分割訴訟の判例からいえること

日本IBM会社分割訴訟の判例では、以下の2つの点が重要です。

・商法附則5条違反があれば、会社分割が無効でなくても転籍が無効になる
・協議がまったく行われていないケースに限らず、不十分なケースでも転籍が無効になる

商法附則5条では、分割承継の際に雇用者へ労働者と協議するよう求めていますが、協議が行われなかったからといって労働者の承継が無効になるとははっきり定めていません。この判例により協議義務に違反すると転籍が無効になる可能性があると明らかにされました。

商法附則5条では「協議をすべき」と定めているので、何らかの協議さえ行えば要件を満たすようにも思えます。しかし裁判所は「協議を行ったとしても説明や内容が不十分であれば義務違反となり転籍が無効になる」と判断しました。このことにも重要な意義があります。

会社分割では労働者の承諾がなく労働契約が承継されてしまうと労働者の不利益になることがありうるため、雇用契約の承継は商法附則5条のほか、労働者の保護を図ることを目的とする労働契約承継法が定められています。

今後会社分割を行うときには、労働者との充分な協議をしなければ裁判によって転籍を無効とされる可能性がありますので留意しましょう。

文:福谷 陽子/編集:M&A Online編集部

慣習に倣い、文中の判例は全て和暦で表記しております