そして、このような調整があったとしても、なお合併に反対の者や不安を拭えない者、そしてどうしても資金を回収したくなった投資家もいただろう。合併を成立させるためには、退社(持分の売却)を希望する者に出口(イグジット)を用意する必要があった。
しかし、会社が自らの資金で出資者の資金償還に応じていたら会社の財産が流出してしまう。これでは会社が存続できなくなり本末転倒だ。そこで株式の譲渡自由が規定され、株式の流通市場(セカンダリーマーケット)が誕生することになる...
オランダの経済都市圏は各々が投資集団を設立し植民地ビジネスを活発化。諸州投資集団間での競争が激化すると、オランダの香辛料価格は暴落。共倒れとなるリスクが顕在化していく。そこに衝撃の情報が飛び込んでくる。英国が東インド会社を設立したのである。
前回のコラムでは、コロンブスがその初航海の途上でカトリック両王に送ったとされる書簡について触れた。そして、彼の航海には真のスポンサー「ルイス・デ・サンタンゲル」という宮廷ユダヤ人がいたことに触れた。今回はまず彼の出自とその業務を確認しよう。
ユダヤ教徒は貿易業などの本業を営みつつ、多角化の一環として金融業を早くから営んでいた。ユダヤ教徒の金融業の発展過程とその背景について書いてみたい。キーワードは「宮廷ユダヤ人」だ。そして舞台はイベリア半島(現在のスペインとポルトガル)である。
米国経済の本質的根幹をなすのは起業家精神ではないか。少なくとも米国人は本音ではそう思っているのではないか。さもなくばデュアルクラスのような仕組みを制度として市場が許容することの説明がつかない。では、こうした起業家精神の源流は一体なんなのか。