海外事業の「苦い経験」

1985年のプラザ合意による急激な円高を受けて、日本企業は製造業を中心に輸出減少を懸念し、現地生産比率を高めるために相次いで海外へ進出する。鹿島はこれにあわせて1986年に米カジマ・ユー・エス・エー(KUSA)、1987年に英カジマ・ヨーロッパ(KE)、1988年にはシンガポールでカジマ・オーバーシーズ・アジア(KOA)を設立。米国・欧州・アジアの3拠点を中心にグローバル展開が進んだ。

1980年代後半にバブル経済期を迎えると、地価上昇が大都市圏だけでなく地方にも拡大し、建設需要はうなぎのぼり。しかし、バブル経済が崩壊すると、国内の建設需要は急激に冷え込む。さらには巨額の財政赤字で国や地方自治体の公共工事も激減した。そうなると海外市場に活路を見出すしかない。鹿島は80年代の世界3極展開を軸に、グローバルな大型案件の受注に乗り出す。そこに「落とし穴」が待っていた。

難航したアルジェリア東西高速道路工事(同社ホームページより)

2006年に鹿島がJV(共同企業体)の代表として受注した、総工費5400億円のアルジェリア東西高速道路工事がそれ。このうち実に1000億円もの工事代金の未払いが発生し、アルジェリア政府と対立。10年後にようやく和解したものの、多額の赤字計上を強いられることになる。

現地の事情を十分に認識していなかったことが仇(あだ)となった。地質が予想以上に脆弱(ぜいじゃく)で施工計画の変更を迫られ、アルジェリア政府からは度重なる追加工事を迫られるなど、想定外の事態が噴出したのだ。最終的にはアルジェリア政府が未払い金の一部を支払い、8割まで進んでいた工事から撤退するという苦い経験となった。