1962年11月、豊田佐助が他界した。この私邸の所有をどうするか、という話にもなっただろう。そのとき名乗りを挙げたのは当時のアイシン精機だった。寄付されたという。トヨタグループの中核企業であるとはいえ、なぜ、私邸という財産がグループ会社の所有物になったのか。正確なことはわからないが、アイシン精機の創業者は佐助の長女の夫、渡部新八である。そのような縁があったのかもしれない。
アイシン精機は、佐助邸を社員寮として使っていたそうだ。どのような社員が使っていたのかは不明だが、さすがに使いづらかったであろう...