拡大と縮小を繰り返す地方百貨店

では、勁草書房の生みの親、大和とはどんな百貨店なのだろうか。創業は1923年、京都大丸の流れを組む。まず、金沢の繁華街・片町に店舗(宮市大丸)を構え、その後、北陸の富山、福井にも出店攻勢をかけた。株式会社大和と改称したのは1943年。当時は北陸、さらに新潟や大阪などにも出店し、計7店舗を構えるまでに成長した。

大阪証券取引所2部に上場して以降は、多角化経営にも積極的に乗り出す。ホテル、レストラン業、さらにまったく異業種といえる印刷業にも進出した。加えて一時期は、自動車販売業の日産自動車石川販売を設立している。勁草書房が分離・独立したのも、こうした多角化戦略で事業を拡大していた時期だった。

だが、こうした積極的な多角化・多店舗化が2008年のリーマン・ショック以後、裏目に出たのかもしれない。百貨店業界全体の厳しさが増すなか、2010年に大和は長岡店・上越店・新潟店・小松店を相次いで閉店した。象徴的だったのは1986年、金沢本店跡に開設した商業施設「ラブロ片町」を、2014年に閉鎖したことだ。片町再開発の目的もあるが、金沢の商業文化を象徴する施設であっただけに、金沢市民はその閉鎖を惜しんだ。なお、現在はそのラブロ片町の跡地に「片町きらら」という新たな複合商業施設がオープンし、大和の本社も片町きららに所在している。

現在、大和は金沢市に香林坊店、富山県の富山市(富山店)と高岡市(高岡店)の計3店舗を構え、そのほかギフトショップ、サテライトショップ、さらにオンラインショップなどを展開している。やや違和感は感じられるものの、勁草書房の会社情報を示すウェブページには「北陸の産品は大和ホームベージヘ。北陸の味覚を皆様にお届けいたします。お中元・お歳暮にもどうぞ。http://www.daiwa-dp.co.jp/」と、とかく杓子定規な杓子定規な会社情報欄でグループ会社であることを微笑ましく紹介している。

ちなみに、勁草書房の「勁草」とは「勁(つよい)草」のこと。中国の古典『後漢書・王覇伝』の「疾風知勁草」(疾風に勁草を知る)に由来しているという。今日、地方はもちろん首都圏では、時代の流れのなかで出版も百貨店の多くも厳しい局面に立たされている。だが、その時流に安易に流れされることなく、出版はもちろん百貨店も勁草のような逞しさのある経営が求められる。

文:M&A online編集部