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「弘前れんが倉庫美術館」りんご酒とともに歩んだ百余年|産業遺産のM&A

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2020年7月、弘前市吉野町にオープンした「弘前れんが倉庫美術館」

醸造から創造へ、幾重にも重なる再生への動き

この政府備蓄米保管用倉庫とされていた時期、吉野町煉瓦倉庫の再生を願う動きが高まっていた。1988年には「煉瓦館再生の会」が設立され、「版画美術館にしよう」という声も上がっていた。弘前は創作版画の祖といわれる今純三、今年生誕120年を迎えた棟方志功の故郷。その後も多くの版画家を輩出した“版画のまち”でもある。その流れを汲む版画界の機運もあったのだろう。

1990年代から2000年代にかけて、吉野町煉瓦倉庫の再生は二転三転する。弘前市としては「吉野町煉瓦倉庫設置構想」の検討を1994年に始めるものの、2001年には倉庫取得を一時断念している。また、自治体レベルの構想だけでなく、市民がワークショップ形式で活用法を構想する動きも出てきた。

幾重にも折り重なる再生の機運が高まるさなかの2002年、再生に向けた一筋の強い光が差し込んできた。「吉井櫻」を受け継ぎ、煉瓦倉庫を所有・管理していた吉井酒造の当時の社長と弘前市出身で現代美術作家として活躍する奈良美智氏が意気投合し「美術館としての再生」がにわかに現実味を帯びてきたのである。

奈良は「A to Z Memorial Dog」という造形物を弘前市に寄贈し、煉瓦倉庫のある吉野町緑地に設置した。弘前市では煉瓦倉庫の土地・建物をあらためて取得し、「弘前市吉野町煉瓦倉庫・緑地整備検討委員会」を組織した。

吉野町緑地と煉瓦倉庫の本格的な整備が動き始めた。2018年には改修工事に着手し、煉瓦倉庫は弘前れんが倉庫美術館として再生し、2020年7月、開業した。

りんご園、日本酒醸造倉庫、シードル倉庫などと民間による譲渡が続き、やがて政府備蓄米保管庫と市の所有施設など、さまざまな役割を担いながら醸造から創造へ、美術館として再生したのである。

文:菱田 秀則(ライター)

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