この政府備蓄米保管用倉庫とされていた時期、吉野町煉瓦倉庫の再生を願う動きが高まっていた。1988年には「煉瓦館再生の会」が設立され、「版画美術館にしよう」という声も上がっていた。弘前は創作版画の祖といわれる今純三、今年生誕120年を迎えた棟方志功の故郷。その後も多くの版画家を輩出した“版画のまち”でもある。その流れを汲む版画界の機運もあったのだろう。
1990年代から2000年代にかけて、吉野町煉瓦倉庫の再生は二転三転する。弘前市としては「吉野町煉瓦倉庫設置構想」の検討を1994年に始めるものの、2001年には倉庫取得を一時断念している。また、自治体レベルの構想だけでなく、市民がワークショップ形式で活用法を構想する動きも出てきた。
幾重にも折り重なる再生の機運が高まるさなかの2002年、再生に向けた一筋の強い光が差し込んできた。「吉井櫻」を受け継ぎ、煉瓦倉庫を所有・管理していた吉井酒造の当時の社長と弘前市出身で現代美術作家として活躍する奈良美智氏が意気投合し「美術館としての再生」がにわかに現実味を帯びてきたのである。
奈良は「A to Z Memorial Dog」という造形物を弘前市に寄贈し、煉瓦倉庫のある吉野町緑地に設置した。弘前市では煉瓦倉庫の土地・建物をあらためて取得し、「弘前市吉野町煉瓦倉庫・緑地整備検討委員会」を組織した。
吉野町緑地と煉瓦倉庫の本格的な整備が動き始めた。2018年には改修工事に着手し、煉瓦倉庫は弘前れんが倉庫美術館として再生し、2020年7月、開業した。
りんご園、日本酒醸造倉庫、シードル倉庫などと民間による譲渡が続き、やがて政府備蓄米保管庫と市の所有施設など、さまざまな役割を担いながら醸造から創造へ、美術館として再生したのである。
文:菱田 秀則(ライター)
清水港湾博物館(フェルケール博物館)の裏手にひっそりと建つ「缶詰記念館」。清水の缶詰産業の源流であるとともに、SSKブランドで知られる清水食品の源流でもある。
“世界のトヨタ”、そのルーツは豊田一族が邸宅を構えた名古屋市東区主税町界隈にある。現存するのは、トヨタグループの創始者・豊田佐吉の弟佐助の旧宅だけとなっている。
北海道江別市野幌にあるローカル商業施設「ËBRI」。ヒダという自主廃業した窯業会社の煉瓦造りの工場を自治体が2016年に商業施設に再生した。
新潟県で花開いた石油産業。その重鎮の一人、「石油王」といわれたのが中野貫一だ。越の国・新津の油田開発と貫一、また貫一が興した企業のM&Aを追う。
埼玉県最古の歴史を持つ映画館が川越スカラ座だ。2000年代にいったんは休館するものの、地元有志が買い取り、再オープンに漕ぎ着けた。首都圏近郊のミニシアターとして、地元ファンの人気を集める。
札幌の赤レンガといえば北海道庁旧本庁舎が有名だが、サッポロビール博物館の赤レンガも同時期に竣工した建造物である。数奇な歴史を辿る“もう一つの赤レンガの物語”。
通天閣は第二次大戦前までの初代と戦後再建された2代目、合わせて100余年にわたり大阪のまちのシンボルとして建つ。その間、3 度にわたり所有者が変わってきた。
かつては世界の7割のシェアを誇った北海道の北見ハッカ。海外生産などの波に揉まれて2度、停滞・衰退の道をたどる。だが、そのたびごとに復活を遂げてきた。
大阪馬車鉄道が前身の阪堺電車。南海電鉄などとのM&Aを経て、1980年からは阪堺電気軌道として経営を続け、存続が危ぶまれる中、地元の足として欠かせない存在となっている。
2013年に東証と経営統合した大阪証券取引所(現大阪取引所)。世界で初めての先物取引所とされ、往時は先物を中心に東証を凌ぐ取引も行われていた。正面には渋沢栄一と並び称される五代友厚の立像が建つ。
1899年に建造されたレンガ造りのドライドックが国内で唯一残され、1000隻にのぼる艦船などを建造・修理してきた「浦賀ドック」。幾多の経営母体の変遷を経て、今年、横須賀市に寄付されている。
佐世保重工業や函館ドックを擁する老舗造船所の1つである名村造船所<7014>。その大阪工場・船渠跡地は2005年にクリエイティブセンター大阪という大阪のアート情報の発信拠点となっている。