1923年の関東大震災では、浦賀船渠からの出火、山崩れなどが起き、震源であった横浜に近い浦賀の市街も甚大な被害を受けた。だが復旧を遂げ、1940年には海軍監理工場に指定されることになる。
1943年には海軍監理工場が浦賀造船所と改称する。第二次大戦時に空襲に遭わなかった浦賀の街は、戦後、急速に賑わいを取り戻した。そして1962年、玉島デイゼル工業という会社と浦賀造船所が合併し、浦賀重工業という社名になった...
上野公園(東京都台東区)界隈にはかつていくつかの駅舎があった。その一つが旧「博物館動物園駅」。京成電氣軌道と呼ばれていた頃の京成電鉄の本線、日暮里駅と上野公園駅(現在の京成上野駅)のほぼ中間に位置していた。今は堅く門扉が閉ざされている。
明治期の文豪・森鷗外の旧邸が残る水月ホテル・鷗外荘。2020年5月末、新型コロナ感染症の影響もあって閉館したが、ホテル内に残る旧鷗外邸(鷗外荘)はクラウド・ファンディングに活路を見いだした。
1934年に外国の要人を招く国策として建造された琵琶湖ホテル。荘厳な城郭・天守閣、寺院建築物のような外観と洋風で重厚な佇まいの内観は、まさに湖国の迎賓館。現在は市の文化施設「びわ湖大津館」として運営されている。その運営会社のM&Aを見る。
山梨県・勝沼、国産ワイン発祥地に、若い3人の男がいた。宮崎光太郎、土屋龍憲、高野正誠。宮崎は日本初の国産ワイン産業をスタートさせた大日本山梨葡萄酒会社の設立発起人。土屋と高野はその大日本山梨葡萄酒会社がワイン留学に送り出した人物だった。